「ホワイト職場ウォッシュ」をなくすのもSDGs的な活動ですよね、というお話。

Whitewash(ホワイトウォッシュ:うわべだけごまかす、粉飾)という言葉があります。

それをもじった「グリーンウォッシュ」や「SDGsウォッシュ」という造語も残念ながら誕生しています。

グリーンウォッシュ=うわべだけの(または偽りの)環境活動

SDGsウォッシュ=うわべだけの(または偽りの)SDGs活動

いずれもネガティブな意味で(批判的に)使用されます(〇〇のやっていることはグリーンウォッシュだ=〇〇は信用できない、という感じ)。

それを踏まえて、「ホワイト職場ウォッシュ」という造語を作ってみました。

どうも、マルワのシャドーサイドあれこれ担当です。

本日は「全ての労働に関わる人必読(希望)、 ココロもオカネも大事だよ」というLove & Peace & Moneyな小話です。

※以下に書いているような内容は当社のことではなく、SNSやニュースに取り上げられる、あまり良くない企業のトータル的なイメージです。また、私なりのSDGsなブログだということをご理解ください。

「ホワイト職場ウォッシュ」=うわべだけの(または偽りの)働きやすい職場

例えば……

  • 社員みんな仲良く、風通しのよい社風→(実態)同調圧力(無言のプレッシャー)や(拒否不能な)半強制の蔓延した社風
  • イベントや行事がたくさんあって楽しい会社→(実態)実質的なタダ働きや無償休日出勤の横行(断れない・手当がつかない)
  • 働き方改革推進中!→(実態)早く帰れ&有給休暇取れ」と声掛けするだけで残業ありきの業務量&休みにくい環境はそのまま(体制も仕組みも何も変わっていない)
  • 女性活躍推進中!→(実態)ただ女性社員がいるというだけ(女性や家庭への理解や配慮はとくにない)
  • 本当に残業も休日出勤もない→(実態)給もない(または下がる)

なんてことは、残念ながら珍しいことではありませんよね。

もっとひどい場合、入社前の説明や条件(労働契約内容)と実態がまったく異なる、なんていうこともそれほどレアケースではなさそうなのが“おもてなしの心を持った美しい国、日本”です。

上記のような環境下では、有給休暇申請をするとイヤミを言われる、会社の飲み会や旅行を断ると仲間外れにされる、なぜかノーメイク出社で怒られる、定時退社すると人事評価が下がる……等、法的には(ぎりぎり)セーフかもしれないけど、今の社会通念(一部の特権階級ではなく、一般人の感覚)ではアウト!ということが多々あります

↑のようなことについて権利を主張すると、なんでも「〇〇ハラ」と言えばいいってものではない!等と逆ギレされることもありますが、「〇〇ハラ」と呼ばれてしまうような行為は本来やってはいけないことが殆ど。また、権利の主張に立場は関係ないものです。弱者が強者に“忖度”することが当たり前の「強者に優しく弱者に厳しい社会」はまだまだ根深いですが、ほ~んの少しマシになりつつありますね。

「働き方改革」とか言ったところで、「ホワイト職場ウォッシュ」が世の中から消滅しない限り、「改革」なんて起きるわけもないのではないか、と思ってしまいます。

そんなつもりはなくても、「誇大広告(自分を良く見せたい)」のせいで「ホワイト職場ウォッシュ」だと思われてしまうこともありそうです。「誇大広告」はミスリード&ミスマッチを引き起こし、結果として、誰も幸せにはなれないと思いませんか?


ただ、本当に働きやすい環境(not  ホワイト職場ウォッシュ)であったとしても、「オカネ」がないと、正直シンドイですよね。

できれば国策として継続的な賃上げ実施や定期昇給の義務化等をできないものかと思いますが、それもなかなか難しいでしょうから、せめて、All Work, All Pay」が徹底されるべきではないかと思います。

そんなの当たり前でしょ、と思われるかもしれませんが、ちょっとご自身(または周囲)を振り返ってみてください。

「○○のため(表向きは好意)」「△△だから(表向きは善意)」という御旗のもと、または、人の良さから発生する、「労働力の無料配布(搾取)」が多数実在していることに気がつくのではないでしょうか(想像力を掻き立てるため、敢えて具体例はここには書きません)。

「No Work, No Payの原則(病気やケガ、育児や介護など労働者都合によって仕事を休んだ分は賃金を支払わなくていい)」であるならば、「All Work, All Pay」でもあるべきかと。

何をもって「Work(労働力の提供)」とするか、で意見は割れそうですが、「これは仕事ではないかな……」というものがあって、賃金を支払う必要はないというのであれば、労働力を提供する必要もない、ということになりませんか?

このあたりが徹底されないと長時間労働や有給休暇取得は改善されていかないように思います。

こういったことを「やりがい」とか「働きがい」といった言葉で覆い隠してしまうことが多いのも「ホワイト職場ウォッシュ」の特徴だと思います。

賃金も含めてトータルでの労働者の待遇改善は、景気回復や雇用問題解決にも密接に関わる大事なことですよね。

誰もが、「労働者=低賃金・悪条件でも文句を言わない都合のよい労働力」などとは思わない、そんな社会になって欲しいというのがいち労働者としての願いです。


【本日のまとめ】

一言でいうと、

安心して暮らせるための休息と収入と思いやりを誰一人取り残さず、すべての人に(No one will be left behind)

ということです。

人権を守ることが根底にあるSDGsが目指しているのもこういうことではないかと。

とはいえ、SDGsやCSR等は理念には賛成だが、そのために自分に負担がかかるのは反対(総論賛成・各論反対)が多いのも現実です(働きやすい職場作りには賛成だが、曖昧にしてきた無償労働がなくなる(利益の圧迫)には反対、等)。

各論反対とならず、且つ誰一人取り残さないためには、「ある程度“ない”ことも大事にする」こと、「アンテナを高く張って様々な情報を収集する(知る)」こと、「それぞれの視点で考え、それぞれの意見を慮る」こと、「適当な距離感で共存する」こと、「役に立つと思うことでも他人に強要しない」こと、「自分の常識を疑ってみる」こと、そして「法令を守る」ことが大切ではないかと思いますがどうでしょうか?

逆の場合(安心して暮らせない・働けない場合)、どうしてもキツイ!と思うのであれば、「逃げることもアリ」ということも忘れずに、適切な(自分を大切にできる)判断・行動をとれるようにしましょう。

やや強引ですが、これまで半年ちょっとかけて私がこの社員ブログコーナーで書いてきたこと(労働者目線から見た働き方改革や多様性について)がここに集約されました。次回からは少し違う内容にしていこうかな、と思います(とか言ってぜんぜん変わらないかもですが)。

私のような下層労働者にできることは、こんなブログをあてもなく発信するくらいですが、私よりも影響力の強い誰かが(一人でもいいので)ここに書いたようなことをパフォーマンスとしてではなく(外面を良くするためだけでなく)、真剣に取り組んでいただけたら、働き方は「改革」されるだろうし、持続可能な良い社会になっていくのではないかと(他力本願ですみません)、ジョン・レノン的夢想(願い)を込めて書いたブログでした。


ということを考えている頭の中ではジョンの……ではなく、Jesus and Marry Chainの改革的大名曲“Never Understand”のパンキッシュで破壊的なサウンドが脳内ループされる中書いておりました。

この歌で歌われているように、“自分のことなんて否定しかされないし、だれも理解してくれないんでしょう?”と斜に構えてしまうは私の悪いところでもありますが(今回の内容に関しては理解していただけると信じて書いています)、世の中がちょっとでも良い方向に進んでほしいです。

それにしてもこの曲がリリースされたのは1985年。

それから時代が3周半くらい回った今観ても、メンバーのファッションやルックスも音も曲も、とにかくクールです。特にドラムのボビー(現プライマルスクリーム)は最高すぎると思いませんか?

本日はこの辺で。

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