寝る前にお菓子を食べたら太るし、健康に良くないからダメ!とわかっていても、ついつい食べてしまう……
そんな時はきまって罪悪感と何となくの“居心地の悪さ”を感じますよね?
それは「寝る前に食べるのはよくないこと」という認知と「食べてしまう」という行動(現実)が “矛盾” しているから。
どうも、マルワのシャドーサイドあれこれ担当です。
本日は基本に立ち返って、「行動を変えるためには矛盾をなくすことを意識することが大事なのでは?」という感じで、まだまだ続くコロナとの闘い(もはや共存?)と働き方改革の中、変化していくことについての小話です。
寝る前にお菓子を食べるのは良くないことだとわかっていながら食べてしまうような、認知と行動が矛盾していることで不愉快な気持ちになる(居心地の悪さを感じる)ことを「認知的不協和」と言うようです。
では、この認知的不協和を解消するにはどうしたらいいか?
ひとつは、「今日みたいに疲れている時は、寝る前にお菓子を食べたほうがかえってカラダにいいのだ」と行動は変えずに認知 を変えて、自分の行動を正当化することです。
もうひとつは、「寝る前に食べるのはよくないことだから、食べるのはやめよう!」と認知に従って行動を変えることです。
本来、どちらがより良い結果をもたらすかなんて、考えるまでもないと思いますが、実際には「自分にとって都合の良い理由を見つけて現状の行動を正当化してしまう」人の方が多数だと思います(私も多くの場面でそうしてしまいます)。
例えば…
- 無駄遣いはしないほうがいい、とわかっていても、ついつい服を買ってしまう→(都合の良い理由)残りわずかだから今買わないと売り切れちゃう、今年はこの色が流行りだから絶対に活躍するはず
- 新型コロナ感染拡大防止のために友だちと集まってお酒を飲むのはやめたほうがいい、とわかっていても、ついつい飲み会に参加してしまう→(都合の良い理由)今日集まるメンバーに感染者はいない、飲み会の席で何か有益な情報を得られるかもしれない
- 働き方の改善に取り組むべきだ、とわかっていても、いつまでも従来の働き方を変えない→(都合の良い理由)自社と同じ規模の会社でそこまでやっているところを知らない、ベテラン社員から反発されるに決まっている
このように、行動を変えなくてもいいように(今の行動を正当化するために)、半ば無意識的に「自分にとって都合の良い理由」を探して、認知そのものを変えていきます。
要は、なんだかんだと言い訳をして、ぬるま湯につかって安心したくなるのが人のサガということです(私自身も、もろジャストにその1人です…)。
ぬるま湯は気持ちいいですが、長くつかりすぎるとのぼせてしまいまいますよ!
余談ですが、一時期キム〇ク等の芸能人が頻繁にTVや雑誌で着用したことで大人気となり、今でも根強い人気を誇るファッションブランド「A Bating Ape」の正式名称は「A Bating Ape in lukewarm water(ぬるま湯につかる猿)」。社会全体を風刺する、なんとも意味深なブランド名ですね。
では、どうやってぬるま湯から抜け出すか……
そんな時は、実現したい未来(ゴール)を先に描いておいて、そこから逆算して今何をしたらいいかを考える……といいと思います(弊社社長ブログにもよく登場するバックキャスティング的な考え方?)。
例えば、上記の寝る前のお菓子がやめられない、という場合。
漠然と(一般論的に)「健康に良くない」という理由だけでは、行動を変える動機としては弱すぎます。
そこで、「5年後、特に食事制限しなくても今と同じ生活ができて、さらに、昔着ていたお気に入りの服がまた着られる体型に戻っている」という感じで具体的な「ゴール」を決めます。
そして、その「ゴール」に辿り着くにはためには、3年後までに何をしたらいいか(どうなっていたらいいか)、1年後は?1か月後は?今は?…とゴールに向けた特定の通過点での目標も決めていきます。
すると、では今やるべきことは、「寝る前にお菓子を食べるのを今日から止める」とか「明日から毎日適度な運動を始める」とか、「まずは夜だけ糖質を押さえたメニューに変える」などといった具体的な行動変容に行きつく(意識できる)のではないでしょうか。
自分自身の行動や考えは、結局自分自身の内側からしか変えられません。
これは、流れ星に願い事を言えるくらい実現したいことが明確な人の願いは叶う、とか、神さまに漠然としたお願いをするのではなく、“〇〇になるように精進します”と宣言できる人の願いは叶う、というのと同じだと思います。
もちろん、「影響力ハンパない」外的要因によって強制的に行動を変えさせられることもありますが、それは「たまたま」起きるものなので、「たまたま」起きなかったら、結局変われないということになってしまいます。
テレワークやDXなども「たまたま」新型コロナウイルスのパンデミックが起きたために急速に推し進められた(働き方や仕組みが変わった)だけで、もしパンデミックが起きていなかったら、今も数年前とさほど変わらず、のらりくらりとしていたのではないでしょうか。
いずれにしても、具体的に(目の前に)「今やるべきこと」を描くことができれば、何とかなるのではないか、と。
ちなみに、認知的不協和解消(行動を正当化させるために認知を変える)を利用したマーケティング手法もあります。
例えば、「今日は〇〇の日!」とキャンペーンを行うことで、その商品を買うことを正当化させる(ちょっと贅沢だけど、今日は〇〇の日なんだから買っちゃえ!)、販売する場所・期間を「限定」することで買うことを正当化させる(絶対に必要なものではないけど、今しか買えないんだから買っちゃえ!)、敢えて生産数を制限したり売り切れた状態を見せることでプレミア感を持たせる(やっぱりあの時買っておいて正解だった!)等々…
買うことに対する居心地の悪さを、「行動を正当化する情報を提供して認知を変えさせる=買っていいんだよ、間違ってないよ、と背中を押す」作戦。
先日、まんまとこの作戦に乗っかって?通常版の3倍くらい高い某アーティストの限定版レコードがラスイチだったからと、ついつい買ってしまったことに、ちょっとした罪悪感を感じ、やっぱり「具体的な」未来像(いつまでに〇〇円貯める!それで△△する!)がないと、今の行動を変えられないな……と思ったことから、こんなブログを書いてみました。
そんな私の脳内では、もう9月なのに沖野俊太郎氏の“June, July, August”が繰り返し再生され、少し気怠い歌声とスケール感の大きなメロディ、シューゲ風味なサウンドで
世界は急に変わってしまって
忘れないでいられるのかな
作詞:Shuntaro Okino
と問いかけてきます。
新型コロナの影響で(半強制的に)私たちを取り巻く環境は急速に変わっています(現在進行形)。それが良いいのか悪いのかに関わらず、私たちの考え方や行動も変えていくしかないですよね。
変わらなければいけないと思いつつも、できれば変わりたくない…という認知から生まれる不協和を解消しつつも、変えてはいけない自分の中の「大事なもの」は見失ってしまうことがないように、ボ~っと生きるのではなく、具体的な目標(未来)を持って、ちゃんと変化に対応していくしかないな、と思うのでした。
なんてことを書いている今も、居心地の悪さを感じてしまっているということは、つまり……