SDGsを語る時にあまり語られない話① ~わたしのじかん、あなたのじかん(オマケつき)~

もうすぐ2019年も終わろうとしています。

なんだか時間の流れが速いなぁ、と思いますが、客観的に言えば(考えるまでもなく)1分は1分です。それ以上でも以下でもありません。

でも主観的に言えば、“たった1分”と思うときもあれば、“1分もある”と思うときもあります。

どうも、マルワのシャドーサイドあれこれ担当です。

今回は、“時間は誰にとっても大事だけど、自分の時間ばかりを優先させてしまいがちですよね”という、なにかとせわしなくなる年末年始にもピッタリな?SDGs的な小話です。

これから書くような個人の意識レベルをクリアしていかないと(少なくとも意識はしていかないと)、いわゆる“SDGsウォッシュ”で終わってしまうのではないか、と個人的には思っています。

会社の始業時間、会議の時間、待ち合わせの時間……etc

改めて言うまでもないことですが、何らかの「開始時間」に遅れることは“良くない事”とされます。会社の始業時間に遅れたら、その時間分の給料は支払われない(No Work, No Pay)だけでなく、なんとなく良くないイメージを持たれてしまいがちです。

そして、開始時間からすぐに始められるように、最低でも5~10分前にはスタンバっている、ということが“常識”とされます。

では、逆の終業時間や会議などの終了時間が延長することも“良くない事”でしょうか?

こちらは、“まぁ仕方ない”、“そんなもんだよね”、的に扱われることが圧倒的に多いのではないかと思います。

終業時間を1分超過したからといって残業代を申請する人はまずいないでしょうし、間ピッタリに帰ると、なんとなく良くないイメージを持たれてしまいがちです(“サッサと帰る”ってだいたいネガティブな意味で使われますよね)。

終了時間が1分どころか、30分、場合によっては1時間以上超過しても文句を言わないケースが多いかと思いますが、逆に延長していることに文句を言うと怒られることはあります。

そして、終了(終業)時間になった時点ですぐに終えられる(帰れる)ようにと、5~10分前には片付けを終えてスタンバっている、というのは“非常識”とされます。

あれ?開始時間に正確だと“良し”とされ、終了時間に正確だと“良し”とはされていない??

終わりの時間=別の何かの始まりの時間」のはずなのに、何か変だと思いませんか?

※当社のことではありません。一般論ですので誤解なきようお願いします。また、このあたりについては「ホワイト職場ウォッシュをなくすのもSDGs的な活動ですよね、という話」という小話に詳しく書いているのでそちらもお時間ある時に読んでいただけると幸いです。

また、自分の時間が奪われることには敏感な人も、他人の時間を奪うことには鈍感だったりします(私自身も鈍感な気が……気を付けます)。

誰だって“自分の時間”は大切なので、“他者のせいで”自分の時間が奪われる(予定が狂う)ことには、腹を立てたり文句を言ったりします。

“他者のせいで”自分の時間が奪われる、というと、他者の遅刻や作業の遅れをイメージしがちですが、忘れてはいけないのが“同時性(同じ時間・同じ場所・同じことをする)の強要”です。

堀江貴文氏が電話嫌いなのは有名で、「電話は人の時間を強制的に奪う最悪のツール」というような発言をされています。

もちろん、同時性が有効な場面もありますし、即時性が必須の状況もあり、双方合意のうえなら問題ないのですが、本当にその同時性が必要なものなのか、よ~く考えて、相手のことを慮って行動しないといけないですよね。

今自分はお昼の休憩中だから●●に仕事のことで電話しよう(●●もお昼休み中では?)、とか、今度の飲み会は全員参加ね(“#忘年会スルー”なんてのも流行っていますが、みんながみんな飲み会を楽しみにしてるわけでもないですし、そもそも参加を強制される飲み会に何の意味があるのか?)、とか……etc

深く考えずに「自分にとっては都合がいいから」とか、「今までこうしてきたから」というような理由だけで同時性を相手に求めること=相手の時間を奪うこと、は極力避けるべきです。


はじまりの時間が大事なのと同様、終わりの時間も大事なものです

自分の時間が大事なのと同様、他者の時間は他者にとって大事なものです

そんな当たり前のことが蔑ろにされて、なんとなく強者にとって都合の良い場合の1分が重くなり、弱者のそれは軽んじられていて、それでは“持続可能な社会”にはならないな、と思ったり思わなかったり(立場的な“上下”ではなく、“公平性”で考えるべきですよね)。

たまたま行ったファミレスで、料理が出てくるのが遅かったことにすごい剣幕で(大声で)怒っている人に遭遇してしまい、そっちは「自分の時間を奪われた」とお怒りなのでしょうが、こっちも(というか店内の殆どの人も)「あなたに自分の時間を奪われた」とうんざりしているよ!と思ったところから、やや強引ですが、“持続可能な社会のために、相手の時間への思いやりも大事ですよね&これは今すぐにでも(未来のために)実践できるよな”と思いを巡らせた、という小話でした。

……そんなことを考えている私の脳内DJは、The La’sの“timeless melody”をループ再生しております。

メロディ(歌)は時間から解放された普遍性を持つことができるけど、人間の時間はどうあがいてみたって有限だからこそ、あまり他者を振り回さず(他者に振り回されず)に、有意義に使わなくてはいけないですね、なんて思ったのでした。

……とか言っておきながら、みなさまの貴重な時間を頂戴してしまう長文で失礼しました。

みなさま、良い年の瀬を。


【おまけ】

始業時間に遅刻することと残業の話が出たので余談です。

例題:

ある日、Aさんは1時間遅刻してきました。どうしてもその日のうちに完了させなくてはいけない業務があったので、1時間残業して業務を終わらせて帰宅しました。この場合残業代は支払うもの?遅刻の分で相殺していいもの?

正解:

遅刻したその日に遅刻分だけ延長で労働して、結果的に総労働時間が同じであれば相殺は可能(22時を超えない場合)。

ただしこの場合、就業規則に、「始業時間に遅刻した時間相当分を、その日の就業時間を延長して勤務させることができる。この場合には、通常の勤務をしたものとみなす。」などと明記しておき、周知しておくことが望ましいとされます。
なお、例題の場合で、仮に残業時間が2時間になったとしたら、遅刻分相殺+残業1時間なので、1時間分は残業扱いとなりますし、22時を超えた場合は深夜手当が必要になります。

では、例題の場合で、遅刻した日は定時で帰り、別の日に残業が発生したので、その残業代を遅刻分に充てて処理しようとするのはアリかナシかというと……

これは法的に問題になる可能性があります。

基本的に労働時間は1日単位で完結するものなので、他の日の労働時間と相殺することはできません。ただし、このような場合でも「月単位または年単位の変形労働制」で労働者と協定を結んでいれば相殺可能となりますので、職場の労働契約をご確認ください。

いずれにしても、特別な理由がない限り、遅刻はしないようにしましょうね。

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