情報リテラシー ~情報をどう受け取り、どう伝えるか~

今は誰でも気軽に(←良くも悪くもポイントはここ!)、いつでもどこからでも情報を発信し、逆に、いつでもどこでも情報を受け取れる時代です。

便利な反面、フェイクニュースや事実の一部を意図的に切り取って誤認識を誘発させるような情報も散乱しており、何を信じたらいいのかわからない……という時代でもあります。 

 

どうも、マルワのシャドーサイドあれこれ担当です。

本日は、こんな時代に生きる私たちに、ある意味最も必要な“生きるための能力=情報リテラシー”について個人的に思うところをまとめてみた的な小話です。

以下、わかっているような風で書いておりますが、自分自身の情報リテラシーについても不安しかないことを最初にお伝えしておきます……


 

フェイクニュースとは、文字通り「ウソ・事実無根」のニュースですが、これが案外見抜けません。最近では動画や音声など、それなりに信ぴょう性があるはずの情報でさえ、加工・偽造されて発信されることもあり(ディープフェイク)、ますます見抜くのは困難になっています。

例えば、実際には言っていないことを本人が言っているように加工された動画、実際にはそこにいないはずの人物が合成された画像、あるいは、実際には数年前にAという場所で起きた事象を、今Bという場所で起きているように偽った文章や日付を付ける等、様々なパターンがあります。

では、なぜそんなフェイクニュース(偽情報)が発信されてしまうのかというと、「特定の思想・理念の流布」「特定の人物(団体)を貶めるため」「単なる悪ふざけ、または目立ちたい(アクセス数を稼ぎたい)」といった理由が多いようです。

一方、それらのフェイクが広範囲に広まってしまう原因はというと……

  • 人は誰でも「新しいもの」が好き、かつ、他人よりも「早く」それを知っている優越感を得たい(聞いたことない、見たことない情報だ!、誰よりも先に自分が拡散してバズりたい!)
  • 人は誰でも批判・怒りをぶつける「ターゲット」を探している(そんな悪い事をしている奴は許せない!この情報を広めないと!)
  • 多くの場合、友人知人や自分が好きな著名人の発信を疑うことがない(〇〇さんが発信しているのだから真実なんだ!)
  • タップ(クリック)ひとつで簡単に情報発信できる(これくらいなら自分にもできる!←自身の拡散行為には無責任)

等があります。

つまり、承認欲求を満たすため、または自分の思う正義のために情報を拡散してしまう、ということです。そして、多くの場合、自分が拡散した情報が間違っていたとしても、自身が直接発信したわけではないので(あくまでも元の情報を拡散しただけのつもり)、自ら訂正の投稿をしたり、謝罪したりするようなことはありません。

これはフェイクニュースに限らず、情報や事象の「一部を切り取った」拡散にも言えることですし、どちらかというと、こちらの方が圧倒的に多く、その「一部」を「全体」だと思い込んでしまうことは、なかなか危険なことです。

例えば、以下のような記事あったとします(例文は、かなり大雑把な記事内容ですが、このような事態が一部で起きているというのは事実のようです)。

“着なくなった衣類を慈善団体やお店の回収サービスを通じて途上国等に寄付することは良い取組である。ごみの削減にもなるし、回収した衣類を困っている人に寄付したり、古着として販売して得た収益を慈善活動に充てることもできる。一方で、衣類の「寄付」を受けた国の衣料品産業が崩壊に追い込まれたり、実際には困っている人の元へは届かずに転売屋に利用されていたり、結局衣類として活用されない衣類が「ごみ」として廃棄されることでその国環境が悪化したり、といった問題も起きている。プラスの影響だけでなく、マイナスの影響についても考慮して活動しないと、「有難迷惑」どころか「善意の仮面をつけた悪意」にもなりかねない。しっかりと考えたうえで「良いと思うこと」を実践していくしかないのであろう。”

この記事を読んで、Aさんは「衣類の回収・寄付はゴミ問題の解決にもなり良いことだ。もっと積極的に取り組むべきだ!」とSNSで発信しました。Bさんは「衣類の回収・寄付は迷惑行為だ。そもそも自分がいらないものを人にあげることで自己満足しているだけは?」と発信しました。

AさんもBさんも、元々の記事から自分の主張(言いたいこと)の根拠になり得る部分のみを切り取って発信しているため、元の記事やその出典をきちんと確認せずに、Aさんの投稿のみ、Bさんの投稿のみしか読んでいない人は、それぞれ偏った認識を持ってしまうことになります。

特にSNSやネットニュースでは字数の制限や時間の制約もあって、このように情報の「特定の部分」を切り取って発信されることが多く、また、自分の趣味や価値観に近い人の投稿が表示されやすいこともあり、取得する情報に偏りが生じてしまい、正確な情報を得られなくなる傾向があります。

そのため、SNSのタイムラインに流れてきた、いち個人の発する情報のみを鵜呑みにして、安易に情報を信じたり、拡散したりするのはリスクがある、ということです。


 

統計や調査の結果を単にまとめたような記事であっても、よく読むと発信者(書き手)の思想や主張が含まれていて(バイアスがかかっていて)、思想や主張に必要な部分以外の情報が抜けていることがあります。

一見、情報の全体像を記しているように見える記事でも、実際には全体の一部を切り取ったものですし(物事の全体を網羅するのはほぼ不可能)、どこをどう切り取るのか、というところに発信者(書き手)の個性が出ます。それがあるから雑誌やニュースサイト、ブログやSNSそれぞれに個性が発揮されるわけで、これは仕方ないことです。

つまり、結局のところは、自分自身がどのように情報を収集し、分析し、そこから何を得て、どう判断していくか……というところの精度を高めていく=情報リテラシーを高めるしかないのではないかと思います。

情報リテラシーというと、何となく、PCやスマホ、インターネットを使いこなせる能力、というイメージがありますが、正確には、「正しく情報を読み解き、正しく情報を発信する能力」のことであり、そのためにPCやスマホ、ネット等を使って「情報を適切に判断し、情報を正しく使って、何らかの決定ができる能力」、ということになります。

情報リテラシーを高めていくことは、単に自分にとって、有益な(有利な)情報を取得して「得をする」ことだけではなく、もっと根本の「命や生活」に直結します。

大規模災害や社会的に注目されるような事件が発生した際に、デマやフェイクニュースを安易に信用して誤った行動をしてしまった結果、甚大な被害に遭ってしまうかもしれません。

何らかの事件や不祥事を起こした著名人に対して、「一部のみ切り取った情報」を安易に信じて誹謗中傷を発信した結果、その著名人の仕事や最悪の場合は命を奪ってしまうかもしれません。

情報を正しく受け取る能力も正しい情報を発信する能力も、どちらも大切。

どうすれば情報リテラシーを高められるか、についてはなかなか難しいところですが、

  • 常にアンテナを高くして、様々な情報に興味関心を持つ
  • 自分の趣味嗜好に拘り過ぎずに、いろんな立場や考え方の人の意見を聞く
  • ひとつの媒体に囚われずに、複数の情報取得手段を持つ
  • ブログやSNSへの投稿等情報発信を自分でもやってみる
  • 真新しい、面白い、目立つ、怒りの感情を誘発する、等のインパクトの強い情報はとりあえず疑ってみる
  • 〇〇がそう言っているから、みんなが拡散しているからといった安直な理由で他者と同じ行為をしない

等を意識していけば、少しは情報リテラシーを高めることができるのではないでしょうか。


 

……といった感じで、日々莫大な量の情報を浴びて、やや感覚がマヒしつつも、正しく情報を受取り、決断し、発信していかなくてはいけないな、と思ったのでした。

そんな私の脳内では、Glasgow産の宝石箱、またの名はBelle & Sebastianの初期名曲 ‘A Century Of Fakers’ がリピート再生しております。

ちなみに、Belle & Sebastianなんてバンド名ですが、ベルとセバスチャンの2人組……ではありませんし、そもそもベルもセバスチャンもいませんし、フランスではなくイギリス(スコットランド)のバンドですし、なんなら7人の大所帯バンドだったりします(情報は正しく、ということでなんとなく書いてみました)。

ホンモノのふりをしたニセモノ(偽善者、フェイクニュース、コピー商品等々)がウンザリするくらい溢れかえり、絶え間なく私たちをニセモノの中に引きずり込もうとしてくる、今はまさに “A Century Of Fakers(ニセモノたちの時代)” です。

そんなニセモノに振り回されたくない、と思いつつも、実は自分がニセモノで、誰かを振り回してしまっていないか……という自省と不安と自戒も込めつつ書いてみたブログでした。

どうかみなさまも、ホンモノのふりをしたニセモノにはくれぐれもご注意を……

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