飽きと、言い張る様と

前回のブログで、4Kビデオカメラを購入した話を書いたのですが、1度カメラテストと称して撮ったきり、今は部屋で眠っています。

・Adobeのイラストレーター

・DTMソフト

・家庭用ゲーム機

……などなど、初期衝動で購入するも、早々と触らなくなることが多くあります。

ここまで聞くと「飽きるのが早い」と思われがちですが、特異なことに「Adobeイラストレーター」も「DTM」も「家庭用ゲーム」も数ヶ月ごと、思い出したかのように急に触りだします。

それが、もう10年とか20年と続いているので、飽き性なのか、凝り性なのか、よくわかりません。

 

仕事でも飽きて来ることがあります。

特に、私は「加工」という、同じものを作る作業をしています。

じゃんじゃかと同じものが流れて来ると「飽きる」になりそうになるときが多々あります。

そんなときに思い出すようにしているのが、俳優・古田新太さんの言葉です。

「舞台は、同じ演目を数日間、ずっと演じるが飽きてこないのか?」の問いに、「若いときは、初日は緊張していて、二日目ぬるくなって、それではいけないと三日目やったら飽き、四日目から惰性になる」

「35歳を過ぎてから、昨日と同じことが出来ているのかなと思うようになった。自分は出来ているつもりで、昨日と同じだから飽きて来るけど、昨日と同じ感情やトーンで出来ているかなと考え出したら、出来ていないんだよね。そう考えると飽きなくなった(要約)」

「高い水準で昨日と同じことが出来る」というのは、とても難しいことです。

返せば「高い水準で昨日と同じことが出来る」をするために技術や知識の習得を切磋琢磨しなければいけません。

「飽きる」ということは、かなり高度なことなのです。

どこまで行っても、仕事は「あきない」ですね。

 

 

 

 

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