愛知県を含む39県が国による緊急事態宣言の適用地域から外れ、「感染観察地域」となりました。しかし、愛知県は県独自の緊急事態宣言については継続するということなので、よくわからない状態です(2020.05.26追記:2020年5月26日に愛知県独自の緊急事態宣言も解除となりました)。
いずれにしても、これで終わりなんて勘違いすることなく、引き続きできる限りの感染予防対策をしていかないといけませんね。
そんなこんなですが、外出自粛中に本棚の整理をしつつ、いくつか本を読んでおりました。
その中に、かなり久しぶりに読み返した村上春樹の『風の歌を聴け(1979年、講談社)』と、はじめて読んだハ・ワン著『あやうく一生懸命生きるところだった(2020年、ダイヤモンド社 岡崎暢子訳)』があったのは偶然のような必然。前者を読んだ2日後、積読状態だった後者を読んだら、後者の中に前者の一節が引用されているではありませんか。
今回のブログタイトルはその一節(小説内に登場する象徴的な挿話)から付けたものです。
どうも、マルワのシャドーサイドあれこれ担当です。
本日は、“結局のところ、それは「運」または「運的なもの」ですね”という、これを言ってしまっては元も子もないかもですが、割と大事なことについての小話です。
『風の歌を聴け』の中で、主人公とその友人の「鼠」がバーで酒を飲みながら小説について語り合っているシーン、自分が読んだ“反吐が出そうな”小説に対して、自分なら全然違う話を書く、と言って鼠が語り出します。
要約すると、次のような内容。
乗っていた船が太平洋の真ん中で沈没し、浮輪につかまりながら流れてきた缶ビールを飲んでいる男性。そこに同じく遭難した女性が泳いでくる。
しばらくその場で言葉を交わした後、女性は島を探すといって泳いで行ってしまう。男性はビール片手にその場に留まる。女性は二日二晩必死に泳いで島に辿り着き救助される。男性は酔っ払いながら浮かんでいたところを発見され、救助される。
何年か後に二人は小さなバーで偶然再会する……
さて、このような状況で、あなたが女性の立場だったとしたら、男性に対してどう思いますか?
2人とも助かって良かったね!と心の底から素直に言えますか?
……私はたぶん無理です。
きっと腹が立って仕方がない……からの、自分が情けなくて仕方がない……になるかと。
このような状況は特殊なことではなくて、学校や職場、近所のスーパーやコンビニ、あるいは家庭内など、日常生活の至る所に存在しています。
村上春樹がこの挿話から何を伝えたかったのか正確にはわかりませんが、同小説内では次の一言でこの話を締めていて、個人的にもこれがすべてな気がします。
「ねえ、人間は生まれつき不公平に作られている。」
『あやうく一生懸命生きるところだった(それにしてもセンスのいいタイトル!)』では、上記挿話を引用しつつ、努力することについて書かれている章があります。私なりに著者の考えをまとめると、
「必死に頑張ったからといって報われるとは限らない」のと同じように、「必死に頑張らなかったからといって報われないとも限らない」ということです。
上記挿話の女性と男性の場合でも、どちらも助かることもあれば、どちらも助からないことだってあり得ます。また、どちらか“だけ”が助かるとしても、必ずしも頑張った方が助かるとも限らないわけです。
究極的には、「運」や「運的なもの」によるのではないか、と。
腹落ち。
……このようなことを書くと誤解を招きそうですが、努力することが間違っている、とか、無駄、などと言いたいわけでは全くありません。努力したほうが報われる可能性は高くなると思っていますし、たぶんそれは正しいでしょう。
ただ、努力しなくても報われることもあるし、それは別に「間違ったこと」ではない、と。
辛い経験や挫折、努力と苦労を積み重ねて成長していく主人公……そんな映画やアニメ(小説や漫画も)に慣れ過ぎて、それが唯一正しい道だと思ってしまいがちですが、道はひとつだけではないし、みんな間違えるものですよね。
腕がちぎれそうになって必死に泳いだ女性も、酔っ払って成り行きに任せた男性も、結果からすればどちらも正しかったのです。
もちろん、努力が無駄、ということはないと思います(大事なことなので2度言いました)。
ただ、努力すること、我慢することを美徳としすぎた結果、そうしない(ように見える)ことを「悪」または「間違ったこと」とする傾向が世の中に強くありすぎるような気がして、それはちょっと危険だな、と思う今日この頃です。
自粛警察なんていう「正義の暴走」(これも以前こちらに書きました)の蔓延はまさにその典型。ほかにも、芸能人の失言や不貞行為を許せない!とSNS等で騒ぎ立てる人、数か月かけて必死に考えたデザイン案は不採用なのに、やけくその(30分程度で仕上げた)デザイン案が採用されて、“こんな世の中間違っている!”と嘆くデザイナー……
自分はこんなに頑張っているのになんであいつばかり得するんだ!といった感情のやり場を間違えると、誰かを攻撃する武器に変貌してしまい、同調圧力や集団主義の根っこになります。
こういうのって非常時に表出しやすいだけで、普段からいたるところに存在するし、むしろ落ち着いている時にこそ気を付けなければいけないことだな、と自戒も込めて思うのでした。
そんな私の脳内Spotifyでは、日本語詞中心になる前のインディー魂全開なHomecomingsの名曲“HURTS”がリピート再生されております。
この歌の詞もゴリゴリの正義押しではなく、“ちょっとした運のようなもの”、でもって私たちの背中を押してくれる感じです。
いいことも悪いことも日々やってきては去っていきます。みんな、それをなんとかやりすごして生きているのです。
明日はよく眠れるかな?