こんにちは。オンデマンド機担当のOです。
今日は最近思った事を徒然なるままに書いてみようと思います。
昔から日本では、相手との関係を壊さないために、言葉を少し丸くして伝える文化があります。
たとえば「嫌い」と言うと角が立つから「苦手」と言い換えるように、直接的な表現を避ける工夫は昔から日常にありました。
ところが今の社会では、ちょっとした発言でも強い反応が返ってくる場面が増えています。
意図とは違う受け取られ方をしたり、思わぬところで批判が集まったりと、言葉の“当たりどころ”が以前よりもシビアになっているように感じます。
空気が尖っていくほど、私たちは逆に言葉を丸くしようとします。
その結果、表現はどんどん柔らかくなるのに、周囲の反応はどこか刺々しい――そんなギャップが生まれているような気がします。
言葉を丸くすることには、もちろん良い面があります。
相手を傷つけずに済んだり、場の空気を乱さずに話を進められたり、コミュニケーションを円滑にするための知恵として働くことも多いです。
柔らかい表現は、相手への思いやりとして機能する場面も確かにあります。
一方で、その丸さが“逃げ”として働いてしまうこともあります。
自分の本音を曖昧にしたまま話を終わらせたり、責任をぼかしたり、言いたいことを言わずに済ませるための便利なクッションになってしまうこともあります。
さらに、表現が柔らかいほど相手が自分の意図を正確に読み取れず、誤解が生まれやすくなるという側面もあります。
「苦手」と言ったつもりが「嫌い」と受け取られたり、その逆だったりと、丸めた言葉がかえって距離を生むこともあるのです。
言葉を丸くすること自体は、決して悪いことではありません。
むしろ人間関係を穏やかに保つための大切な技術でもあります。
ただ、その丸さが本音を隠しすぎたり、意図しない誤解を招いたりすることもあるため、使い方には注意が必要だと感じます。
大事なのは、言葉を丸めるときに「なぜそうするのか」を自分で理解しておくことだと思います。
相手への思いやりから選ぶ丸さなのか、それとも自分を守るための逃げなのか。
その違いを意識できるだけで、コミュニケーションの質は大きく変わります。
空気が尖りやすい今の社会だからこそ、言葉の形を選ぶ理由を丁寧に見つめ直すことが大切なのだと思います。


