あるある事例① ミスした部下に「気合いが足りないからミスするんだ!もっとがむしゃらにガンバレ!」といいがち。
あるある事例② みんな我慢して遅くまで残業しているんだから……みんな無理して頑張っているんだから……といった「みんなが主義」に飲み込まれがち。
あるある事例③ 目の前のことだけ考えて(優先して)、本来考慮しなければいけないことが見えなくなりがち。
……どうも、マルワのシャドーサイドあれこれ担当です。
うだるような暑さにゲンナリしている人も多いと思いますが、そんな真夏に熱中症アラート(野外での活動は控えて)を表示しながら炎天下で行われるスポーツが中継される、これはブラックジョークですか?的な状況が一部で問題視されています。
一方で、その批判に対して、真夏の太陽と青空の下で懸命にガンバっている選手の姿が見たい、この時期にこの場所でやることに価値がある、という反論もあるようですが、こちらはいささか精神論的な気が……
このような精神論的言動は日常生活(日常業務)の中でも起こりがちです。
ということで、「職場の常識、再点検シリーズ」第6弾は、職場で嫌われる価値観上位常連の「精神論(根性論)」について、なぜNGなのかまとめてみた、という内容になります。
ひと言でまとめると、
「精神的な強さと精神論は別ものです!精神論沼にハマらないために、合理的&倫理的に考えましょう!」
という、至極当然のことを長々と書いているだけになってしまいましたが、最後までお読みいただけたら幸いです。
本ブログ記載の事例はあくまでもネットなどで収集した情報をもとにしたものであり、当社を含めた特定の企業についての記載ではありません。
精神論の問題点① 非効率・非論理的で抽象的
精神論とは、「自分の気の持ちようで何とでもなる、思い通りにできる(はず)」という考え方で、その中で根性※1に特化した「頑張れば何とかなる(はず)」というのが根性論です(ここではまとめて根性論的精神論としています)。
※1 根性…本来はその人が本質的に持つ性質のことを言いますが、無理・無茶なことでも諦めずにやり通そうとする精神力的な意味で使われることが多いですね。
あるある事例①以外にも、「このくらいで疲れるなんて、根性が足らない!」とか、「みんなの忍耐でこの困難な状況は乗り切れる!」といったプロパガンダもありがちです。
そのような根性論的精神論を安易に持ち出す時には、
- What(なにをやるのか?)
- How(どのようにやるのか?)
- Why(なぜやるのか?)
- When(いつやるのか?いつまでやるのか?)
- Where(どこでやるのか?どこまでやるのか?)
- Who(誰がやるのか?)
といったことについて、論理的に考えない+具体的に指示しない+倫理的(合理的)な配慮に欠けることがあり、正しく行動できなくなることがあります。
事例①であればミスしないための具体的な手順や効率的な仕組み、合理的な指導が必要であり、「気合いでなんとかしろ!」と言われても、何をどうしたらいいのかわからず、何も改善できないどころか、場合によっては倫理的(法的)にNGなことをしてしまう可能性もあります。
精神論の問題点② 他人にも精神論を要求しがち
根性論的精神論を好む人は、他人にも精神論を要求しがちなようです。
そして、精神論が精神論を呼び込んでできた「精神論沼」の中にいると、あるある事例②のような「みんなが主義」に陥り、自分が沼から抜けられなくなるだけでなく、別の誰かを沼に引きずり込んでしまう……なんてことも起こり得ます。
そのような精神論沼の中では、独自ルールが出来上がり、非効率・非合理・非倫理的な行為であっても「良き」とされてしまうことがあります。
それが会社なら、
長時間労働・サービス残業・ハラスメント行為・不正行為・過度なノルマ・過重な労働などが当たり前化する、特定の行為・価値観以外認めない雰囲気が醸成される
……などの問題が発生する、つまり、精神論沼からブラックが発生してしまう※2危険性がある、ということです。
※2 ネットで「ブラック企業 見分け方」などと検索すると、精神論やそれを助長する行為・行事が常態化しているところは要注意と書かれているものが多いです。
ということで、集団(組織)の構築・維持を根性論的精神論に依存するのはリスキーといえます。
精神論の問題点③ 気持ちよりも大切なことが見えなくなりがち
精神論は、「自分の気持ち」を重要視するあまり、法規制や他者の権利、場合によっては命に関わることなど、本来何よりも重視しなければならないことが見えなくなりがちなところも問題です。
もちろん、ニンゲンなので「自分の気持ち」を蔑ろにすることはできませんが、社会の中で生きている以上、自分の気持ちの前に法規制(倫理・道徳)に反していないこと、他者の権利や価値観を侵害していないことを確認する(考える)ことが大切です。
根性論的精神論にハマってしまうと、この部分が見落とされることがあります。
例えば……
- 購入した商品に不具合があったことで「私の気持ちが収まらない!」といって、店員に土下座謝罪を要求する
- 新商品の開発において「A社の人気商品とデザイン・機能がほぼ同じだが、私はこれが好き!」とパクリ商品を製造・販売する
- 会社の飲み会に、飲み会嫌いの部下を強引に誘っておいて、「みんなで飲むのは楽しいな!」と部下の肩をポンポンする
- 「これはあなたの(将来の)ためだから!」といって、本人が望んでいないのに、しかも無給で勤務アップ後に居残りで研修や勉強をさせる
などなど。
冒頭の炎天下でのスポーツ開催の例でも、時代(気候)にあわせて、合理的に変えていくことも必要かもしれませんし、それがこれからの選手(競技)のためになるかもしれませんが、「自分の気持ち」を重視してしまうと、そういうことが見えなくなってしまうかもしれません。
もちろん、目的を達成するために強い精神力が必要な場合もありますが、強い精神力と安易な精神論(根性論)は別モノです。
専門家の指示に従って少々負荷のかかる練習を計画的に行うことと、毎日何時間も炎天下で水分補給もしないでただただ走り続けることが全く別モノなのと同じように。
ということで、
「負けない・投げ出さない・逃げ出さない・信じ抜く」ためには、根性!忍耐!気合!ではなく、「倫理的・論理的・具体的かつ現実的に考えること、思いやりをもつこと、ルールを守ること」
それが一番大事!ですよね。
当社では、1期(1年)の具体的な行動目標や施策をまとめた「経営計画行動指針」を毎年策定し、月次会議の時などに目標の達成具合(進捗)の確認や問題の洗い出しなどを行っています。
また、毎年社員アンケートやお客様アンケートを実施し、当社のサービスや取り組みが、お客様・社員などにとってメリットがあったか、当社にどのような経営効果があったか、などを分析・確認しています。
当社のそれらの取り組みを第三者に審査してもらうこともあります(第三者認証)。
当然、計画や目標などは精神論的なものではなく、合理的・倫理的・具体的なものでなければなりません。
これらの立案・実施・分析などには、相応の時間と労力が必要であり、正直面倒だと思うことも多々あります。
ですが、それらを継続的に実施することで、安易な精神論に流されずに目標達成に向けて活動することができているのではないか、と思いつつ、只今も計画の確認や審査の準備などを進めながらこのブログを書いていたのでした。
そんな私の脳内DJの本日のパワープッシュはコテコテの「The 80’s POP」とも呼べそうな、The Go-Go’sの代表曲 “Vacation” をUSインディーギターポップバンドHoildayがカバーしたバージョンです(紹介が長い)!
本家はあの時代特有なシンセPOPですが、Holidayのカバーは切なさ&アオハル感40%増といった感じのナイスカバーです(YouTubeにファンアップ動画はありますので興味ある方はぜひ聴いてみてください)。
もうすぐ夏休み、という人も多いかと思います。せっかくの休暇なので、ゆっくり休んだり、好きなことをしたりして、日ごろの疲れやストレスを解消したいですね。
くれぐれも、「気合いで夏を乗り切るのだ!」とはならないように……