便利道具と、道具が生まれる背景(そして未来の人へ)

世界最大のスポーツイベント、FIFAワールドカップも終わり、いよいよ世間は年末年始のイベント一色という感じになってきました。

前回の社員ブログで年末年始の行事などについて書いておりましたが、ブログを書いた後で、忘年会参加を断るための文章をAIが自動で作成してくれるというサービスが登場したことを知ったので、今回もまた、前回の延長戦のようなブログを書いてみました。
 
 
どうも、マルワのシャドーサイドあれこれ担当です。
 
本日は、「便利なツールは次々に登場してきますが、それらが登場しなければいけない“背景”そのものを改善して未来に繋げること、それってSDGsど真ん中ですよね!」という小話です。

 


上記のお断り文章AIが登場した背景として、忘新年会などの職場や仕事関係の行事に「本当は参加したくないけど断れない(断りにくい)ので仕方なく参加している」という層がいること(約80%が「参加したくない」と答えたという調査結果もあるようです)、また、「断る理由を考えたり説明したりすることが負担になっている」と思っている人が一定数いることがあるようです。

一見すると、そんなことまでAIで?と思ってしまうかもしれませんが、必要としている人からすれば確かに便利なツールであろうと思います。

本来やらなくてはいけない作業に使う時間を割いてまで断りの文章を作成する(相手ができるだけ不快に思わないよう丁寧に断らなくては……)、断りたいけど断りにくいと悩む(やるべきことに集中できない……)、という負担がAIによって多少でも軽減されるなら、それに越したことはないですよね。

個人的にはそもそもとして、断る側がそこまで苦心しなくてはいけない(気を遣わなければいけない)ということがまずもって大問題だと思いますが、そんな弱い立場の人に寄りそう、いいアイデアだなと思います(元々これ以外にも様々なシチュエーションに応じた文章自動生成AIサービスを開発・提供している企業のようです)。

 


ただし、このサービスを利用しなければならない状況が変わらない限り、嫌々参加している人・断るために不毛な労力を費やしている人の負担が多少減ることはあっても、根本的な問題は解決しないですよね。

便利な道具(商品・サービス)が登場してくるのは、様々な人の様々な「困った」「助けて」の声を解消するためですが、「困った」「助けて」の原因を根本的に解消するのはとても難しいです(特にヒト対ヒトの問題は……)。

今回の忘年会はAIで作ったお断り文章で何とか乗り切ったけど、来月また会社の飲み会があるらしい。今度はどうやって断ろうか(理由も考えなきゃ)……

とか、

めっちゃ丁寧なお断り文章だったのに、結局理由や丁寧さの問題ではなく「参加しないこと」を問題にされてしまった(角が立った、人事評価や取引に影響が出た)……

とかとか。

AIで丁寧な文章を作ることをサポートすることはできても、「断りたいけど断りにくい環境や人間関係」「煩わしい会社文化(伝統や風土)」まで改善することはサポートしきれません。

サービスや商品を利用する側は、そのサービス・商品でどのような問題は解決できて、どのような問題は解決できないのかを理解し、過度に期待しないこと(割り切り)も大切です。

 

そして、根本原因を取り除かない限り、「困った」「助けて」は続いてしまいます

猫型ロボットの便利道具も、(弱い立場であることの多い)主人公の「困った」「助けて」の声を解決する(助ける)ためにポケットから出されるわけですが、(ほぼ毎回)道具だけでは根本的な問題解決には至りません。主人公自身が行動や考えを変えるか、周囲の人たちが行動や考えを変える、それでしか問題は解決できません(この主人公の場合は、道具を悪用したり、間違った使い方をしてしまったりで、より問題が拗れてしまうことも多々ありますが……)。

結局のところ、自身か周囲の人の行動・考えの変化、特に「より強い立場の人たち(強者)」の行動・考えの変化が何よりも重要ということであって、そのキッカケを作る目的で便利道具を利用する、という方が正しいような気もします。

なぜその道具を作らなければいけなかったのか(なぜ需要があるのか)、なぜその道具を使わなければいけないのか、ということを社会全体で考え、それらの道具を使わなくても誰かから「困った」「助けて」の声があがらないように根本原因を改善していくこと

この忘年会お断りAIでいうと、「AIで作った文章で断って来るなんて失礼だ」「そもそも仕事上の付き合いを断る方が間違っている」ではなく、「断ることに心を痛めたり、悩んでいたりする人がいるのであれば、そんな人たちの負担を取り除けるよう、忘年会のあり方や忘年会推進派社員の意識を変えていかなければ」となるかどうかで未来は変わります。

※決して忘年会や新年会、仕事上の付き合いとしての飲み会などが悪い、という訳ではありません。ただ、そのような飲み会や付き合いが苦手(嫌い)という人もいるし、苦手なことが悪いわけでもないということを正しく認識し、お互いの価値観を認め合う&お互いに不利益が生じないように配慮できる、そんな環境・雰囲気・関係性を構築することが大切、ということです。

SDGsは便利道具ではありませんが、なんとなくSDGsという理念やそれに伴う行動も便利道具の登場・使い方・登場する背景の改善が不可欠、という点では同じことですよね(SDGsの目標としていることが根本的に解決されればSDGsという理念そのものが不要になります)。

 


……という感じですが、なんとも雑なブログで失礼しました。

キーワードを入力するだけで、AIがちゃんとしたブログや文章を作成してくれるサービスも既にあるのだろうな(未確認)と思いつつ、拙い文章もヒトならではのアジだよな、なんて言い訳を用意して、今年最後のブログ当番を閉めたいと思います。

そんなこんなな私の本日の脳内BGMは、今、ここから未来への繋がりに思いを馳せつつ、そこはかとないく切ない気持ちにもさせられる、コーネリアスの大名曲 “未来の人へ” です(公式のYouTube動画もありますが、今回はリンクは貼りませんし、歌詞の引用も割愛します)。

誰かの「困った」「助けて」の声と、それを解決するための別の誰かのサポート、希望と失望と満足と不満が連なっていく日々のなかで、誰かが奏でる音楽や、どこかで紡がれる物語が幾重にも重なり合って「未来」になっていきますが、そんな「未来」のどの地点まで私は関与しているのだろうか(今の誰かの「困った」「助けて」が解決されるような未来に、私はもういないかもな……)、なんてことも思いつつ、本日はこの辺で。

少し早いですが、みなさまよいお年をお迎えください。 

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