突然ですが、キャッチ画像のようなフードの付いたスウェットシャツのことをみなさんは何と呼んでいますか?
おそらくもっとも多いのは「パーカー」または「スウェットパーカー」ではないでしょうか?
どうも、マルワのシャドーサイドあれこれ担当です。
本日は、日本の4月といえば、という感じで、「常識や当たり前が必ずしも正しいとは限らないし、常識も当たり前も常に変化するものだから、間違った常識や当たり前のせいで辛い思いをする人がいないようにすること、それが持続可能な社会ですよね!」という感じの(長っ!)、全国の新入社員に向けたエール?的なブログです。
冒頭のフードの付いたスウェットシャツの正しい名称は「フーデッド・スウェットシャツ(Hooded Sweatshirt)」または略して「フーディー(Hoodie)」です。ファッションブランドのカタログやECサイトなどでは「フーディー」と表記されることが多いです。
「パーカ(Parka)」とは、元々はエスキモーが着ていた動物の毛皮から作られた外套を指す名称で、現在ではフード付きの防寒用アウター※(マウンテンジャケットやダウンジャケットなど)を指す名称として使われており、フードが付いているという共通点はありますが、フーディーとパーカは別のものです。
※主に前開きでフード周りに毛皮が付いている外套をパーカと呼びます(パーカの語源は「動物の皮」)。前開きではなく、頭からかぶって着用するフード付きの外套は「アノラック(Anorak)」と呼ばれます。
また、「パーカー」と語尾を伸ばすのも実は間違っていて、正しくは「パーカ」です(英語のスペルは「Parka」であり「Parker」ではありません。辞書や新聞、雑誌等の正式表記も「パーカ」です)。「スウェットパーカー」というのも和製英語であり正規の名称ではありません。
しかし、日本では一般的に「パーカー」や「スウェットパーカー」と呼ばれており、それで意味は通じます。毎日新聞校閲センターが運営しているサイト「毎日ことば」によると、約8割の人が「パーカー」と呼んでいるようで、「フーディー」と呼ぶ人は1割程度しかいません。
ちなみにスウェットシャツのことを「トレーナー」と呼ぶ人もいますが、これも和製英語であって正式な名称ではありません(ボクシングのトレーナーがスウェットシャツを着ていることが多かったからそう呼ばれるようになったとか)。
……で??と思われるかもしれませんが、何が言いたいのかと申しますと、特定の地域や集団の中で“当たり前” “常識” とされていることが必ずしも正しいわけではない(必ずしも多数派が正義とは限らない)ということです。
“当たり前” や “常識” と言われるようなことの多くは、特定の地域や集団の中で、ある程度の時間をかけて自然に定着しただけのものであって、たとえ間違っていたとしても定着してしまえば、それが “当たり前” や “常識” となっていきます。
それぞれの企業や学校、地域のコミュニティなどには、それぞれの “当たり前” や “常識” が沢山あると思いますが、それらだって、外から見れば、必ずしも正しいとは限らない、ということです。
伝統や風土も大切だとは思いますが、そこに気を取られすぎると、せっかくのより良くなれる(変われる)機会を逃してしまい、世の中のニーズやリスクの変化に対応できなくなって衰退していく……なんていうことにもなりかねません。
“当たり前” や “常識” が間違っていたとしても、法規制等の「公式ルール」に反するものでなければ、または他者を不幸にしたり迷惑をかけるものでなければ、特に問題にはならないかもしれません。
先述のパーカー? パーカ? フーディー? という呼び方だって、別にどう呼んでも法律には反しませんし、日本国内で生活している範囲内であれば、どのように呼んでもお互いが理解できるはずなので、まず問題ないことです。
一方で、公式ルール(法律や規則)に反するようなことでさえ、 “当たり前” や “常識” として定着してしまっていることも案外多いような気がします。
法規制も社会情勢や技術の進歩によって常に変化しているので、「この社内ルールを決めた時に法的に問題がないことを確認しているから、この通りにしていれば問題ない」といって、何十年も前に定めた社内規定や作業手順をそのまま運用している、社内(集団内)の “当たり前” や “常識” となっている、というのは、むしろリスクになり得ます。
例えば次のようなことが “当たり前” や “常識” として定着しているなんてことはありませんか?
●休日でも夜中でもお客様からのメールや電話にすぐ対応するのが当社では常識だから、業務端末を持ち帰ってメールや着信をチェックするのは当たり前のことだ(もちろん、それらは勤務時間には含めない) |
●タイムカードを打刻して勤務アップしたことにしてから残業するのが当社では当たり前だ(というか、残業代なんて言わずに残ってでも働くのが“頑張っている社員” なのだ) |
●有給休暇は病気やケガの時以外認めないし、なぜ休むのか理由を上司に説明するのが当社では常識だ(もちろん、旅行に行くから休むなんて許しません) |
●男性社員には育休を認めないのが当社では常識で、それでも休むというなら降格・減給するのが当社の当たり前だ(というか、労働者はなによりも仕事を優先するものだ) |
●個人情報を含むデータだとしても社員なら誰でも使っていいし、用済み後でもそのまま残しておくのが当社では当たり前だ(というか、個人情報の管理に手間やコストをかける意味が解らない) |
●社員のプライベートに関する情報や顔写真等は会社が自由に使ってもいいというのが当社の常識だ(というか、社員はプライベートを犠牲にしてでも会社に奉仕するべきだ) |
●会社の飲み会や行事には全員強制参加が当社では当たり前だ(というか、会社のイベントには喜んで参加するのが当然のはずだ) |
●ミスやクレームを起こした社員から罰金を徴収するのが当社では常識だし、クレーム対応のためなら残業・休日出勤は無給で行うのが当然だ(というか、ミスしたのは社員なのだから、会社がお金を出さないのは当たり前だ) |
●社員の教育のためなら多少の暴言や暴力もやむを得ないと判断するのが当社の常識だ(そもそも、多少の体罰は教育のうちだ) |
某CMじゃないですが、「昭和かよ!」とツッコみたくなるようなことばかりですし、実際に昭和の時代なら見て見ぬフリをされていた(大きな問題にはならなかった)かもしれませんが、令和の今では上記のようなことはすべて「アウト!(法令違反または限りなく黒に近いグレー)」だというのが “当たり前” であり “常識” ですね!
(当社のことではありません。日本にありがちな “間違った常識” のステレオタイプをいくつか例示しただけですので誤解されませんようお願いいたします。)
長いこと「それ」に慣れてしまうと、「それ」からなかなか抜け出せなくなり、「それ」が変わること・否定されることへの拒否反応が大きくなってしまいますが、「それ」のせいで、(自分は良くても)他者が不快な思い・不便な思いをしていないか、と思いやることは忘れてはいけません。なにより、「公式ルール(法律)」に反してしまってないかについては定期的にチェックして、変えるべきことは変えていかなくてはいけません。
変わるきっかけは様々ありますが、新しい仲間が加わることも大きなきっかけになります。
毎年のことですが、新入社員へ贈る言葉として、「早く会社に慣れてくださいね」的なメッセージをよく聞くような気がしますが、慣れるのはいいとしても、間違った “当たり前” や “常識” にまで染まってしまわないように注意したほうがいいのではないか、と思っています。
そんなこんなを考えている私の脳内DJの本日のパワープッシュは、b-flowerの“リラの咲く日々”です!
和製The Smiths、永遠のナイーブポップとも称される、純粋無垢なメロディと歌詞世界、そしてヴォーカル八野氏のハイトーンボイスが、まだ少し寒い春の朝に何度も何度も響いております(公式動画がないのでリンクは貼っておりませんが、ぜひ聴いてみてください)。
別に何かと闘っているつもりなんかないかもしれませんが、考えようによっては、人は常に「何か」と闘っているはずです。
そんな闘いの中で、自分の大切なモノをなくさないように守っていけるだろうか?と自問自答しながら生きる日々は続きますが、自分の中の大切なモノを守るために、時には流れに身を任せたり、適切に逃げたりすることも大事ですよ。
やみくもに、無理・無茶をして立ち向かっていくだけが闘い方ではありません。