BCPについて、または命。

2011年の東日本大震災から今日でちょうど11年。

この時期になると、あちこちで「事業継続計画(BCP)は大事ですよ!」という声が聞こえてきます。

災害から学んだ教訓を生かすため、自然災害の恐ろしさを忘れないため、または年度末ということで、この時期にBCPの策定や見直しを実施する企業もあるでしょうし、社内の備蓄・防災用品の点検や避難訓練を実施する企業もあることでしょう。

  

どうも、マルワのシャドーサイドあれこれ担当です。

本日の社員ブログは、「いざという時のための準備は常にしておくべきですが、『いざという時ではない時』の安心と安全がなにより大切ですよね!」という感じのBCP&働き方についてのピースフルな小話です。

 


今さらですが、「事業継続計画(BCP」とは…

大規模な災害や事故、感染症拡大などの緊急事態発生時に、できる限り早急に事業を再開するため、またはできるだけ影響(被害)を抑えて事業を継続していくための計画のことです。

※BCPはあくまでも事業継続「計画」を指す名称ですが、一般的には後述の事業継続マネジメント(BCM)と同義で使われることが多いです。

元々は大型地震など自然災害への対策が中心でしたが、新型コロナウイルス感染拡大もあって、「オールハザード対応型BCP」を策定する企業が増えたと言われています(弊社も一応オールハザード型BCPを策定しております)。

事業継続を阻害し得る「リスク」や自社を取り巻く環境は常に変化しているので、それに対応していくためには、定期的に計画を見直し、改善していく必要があります。 

計画(P)を定期的に見直すためには、社員教育や平時から実施しておくべき対策の実行(D)、その効果の検証(C)、計画の改善(A)……という一連の運用、つまり「事業継続マネジメント(BCM)」を通常の企業活動の中に落とし込んで取組を継続していくことが重要になります。

BCMを通常の企業活動の中に落とし込むということは、ともすれば「余分な」コストや労力が必要になるということでもあります。例えば、社内サーバーに保存していた業務データをクラウド上にも保存(バックアップ)したり、商品製造のための資材を余分にストックしておいたり、複数工程を任せられる人材の育成・人員の確保が必要になったり……

そもそもBCPを策定したところで、いざ緊急事態が発生してしまった場合に大きな損害が発生しない保証なんてないのだから、そんなことに「余分な」コストや労力をかけても意味ないのでは?と思われるかもしれませんが、(たぶん)意味はあります。

想定できる範囲に限られるとしても、今やっておける被害低減策を講じておく、通常の運用手順や体制が機能しない場合の予備手順や体制を整備しておく、それらについて定期的な見直しを実施する、といった「備えておくことを継続する」ことで、緊急事態が発生しても、できるだけ早期に事業を復旧する、またはできる範囲で商品やサービスの提供を継続することが可能になるかもしれません(少なくとも何もしないよりは確率は上がります)。

また、緊急事態の真っただ中では、何から手を付けていいのかわからなくなってしまうと思いますが、BCPがあることで、「まずは●●の製造ラインの復旧を目指そう!」というように全社員に進む道を示すガイディングライトにもなります(少なくとも真っ暗な状態よりは行動しやすいです)。

このように緊急事態発生(不測の事態発生)時であっても、できる限り企業活動を継続し、雇用を守る・商品やサービスを必要とする人に供給し続ける(または早期に復旧する)ことは、企業の社会的責任(CSR)でもあり、働く人や商品(サービス)の利用者にとって「信頼できる企業」と言えるのではないでしょうか。

 


しかし、もしも、BCPの策定や見直しのための作業を特定の社員に「丸投げ」し、丸投げされた社員が毎日夜遅くまで作業していたり、BCPの一環として、社員総出で休日返上の避難訓練や設備点検を実施したり……ということが「表向きは社員の善意(残業代や代休なし)」として行われていたとしたら、それでも「信頼できる企業」と言えるのでしょうか?

同じように、たとえBCP(BCM)に取り組んでいたとしても……

  • 長時間労働、サービス残業、休日出勤が常態化している(放置・黙認)
  • 社内で各種ハラスメント行為が横行している(放置・黙認)
  • いつ解雇されるかと社員がビクビクしながら働いている
  • 従業員やお客様などのプライバシー(個人情報・肖像権)や著作権、商標権など他者の権利の侵害が横行している
  • BCPにかかるコストを吸収するために取引先に無理な値下げを強要することが常態化している

……なんてことになっていたら、それでも「信頼できる企業」だと言えるのでしょうか?

 

BCPが策定されているかいないか以前の問題として、根本的な部分(土台)から「信頼できる」ことが「信頼できる企業」の大前提ですよね。

※毎度この手のことを書く度に追記しておりますが、上記のような事例は当社のことではありません。あくまでも一般的な日本の「良い会社のフリをしている」企業のイメージサンプルです。誤解なきようお願いいたします。 

 

なんとなく「BCP」という言葉のPOP UPばかりが目立ってしまい、その「土台」部分は相変わらずというか、日本の社会全体として「見て見ぬフリ」をしている気がします(これはSDGsでも同じですね)。

BCPは「事業を継続させる」ための計画です。自然災害や感染症拡大は事業継続にとっての大きなリスクですが、同じように労働環境の問題やコンプライアンス違反も事業継続上の大きなリスクです。

「リスクを恐れて何もしないことが最大のリスク」なのではなく、「リスクを見て見ぬフリをする(放置する)こと、またはそこにリスクがあることに気付かないことが、最大のリスク」ですよね?

従業員の命や生活、その他権利が脅かされるのは必ずしも自然災害発生時や感染症流行時だけではない、むしろ、「平時」にそれらが脅かされるかもしれないリスクを少しでも取り除いていくことが何よりも大切で、その土台の上ではじめてBCPが成立するのではないでしょうか?

……なんて書いてはみたものの、私はいち労働者なので「事業継続」といっても、正直よくわからないことだらけです。弊社の事業継続計画にほんの少し携わってはおりますが、まだまだ至らないところ、改善していくべきところも多く、継続的に改善していくしかないのだろう、と思います。

 


毎年3.11や終戦記念日などの度に、今自分がこうして生きていることは決して当たり前のことではない、ということを痛感させられますし、逆になぜ今自分は生きているのだろうか?と考えてしまったりもします(多分理由なんてないのでしょうが)。

BCPというと、私のような一般社員にはともすれば他人事と捉えられてしまうかもしれませんが、自身の命を守る(=私を継続する)ためにも、BCPは必要なのかもしれません。

もちろん、それ以前に、「なんでもない時」の安心・安全な生活が保持される(脅かされない)社会であってほしい、「なんでもない時」が継続される社会であってほしい、と思います。

 

……そんなことを考えている私の脳内DJは小沢健二の超大作にして自然へのリスペクトと人の営みへの敬意を込めた大名曲、 “天使たちのシーン”を繰り返し再生しております (リリースは1993年で震災とは無関係の歌ですが)。

公式のYouTube動画がないのでリンクは貼りませんが、いくつかファンアップ動画は上がっていますし(個人的にはライブバージョンがおすすめ)、長いこと廃盤状態だったこの曲を含む1stアルバムが再発されたので、ぜひ聴いてみてください(ストリーミングはないようですが)。

神様を信じる強さを僕に 生きることをあきらめてしまわぬように

にぎやかな場所でかかり続ける音楽に 僕はずっと耳を傾けている

作詞:小沢健二

全編に渡って自然と人が共存する世界とそこに存在する法則についてある意味淡々と紡がれた13分37秒の長編詩。特に最後に歌われるこの↑歌詞に救われたという人は数多いと思います。

ここで大事なのは「信じる強さ」(神様の部分はそれぞれ好きなように解釈すればいいかと)。

逃げたり避けたりしながらでも自分にとっての「拠り所」を信じぬけるかどうか、どうやって信じていけるか、信じることで自身の「安心・安全」を守っていけるか、ということではないでしょうか。

企業にとって、その「拠り所」はBCPポリシー(基本方針)だったり、そもそもの企業理念だったりするかもしれません(やや強引な絡ませ方ではありますが)

最後に、3.11復興支援のためにStussyとFragment DesignがコラボでリリースしたチャリティーTシャツ(本日密かに着用しております)にプリントされているメッセージを共有して終わりたいと思います。

ONE WORLD, ONE LOVE, ONE HEART

まさに「今」世界に必要なメッセージではないでしょうか?

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