「冬はつとめて」のこころ(データの保存に注意)

日本三大随筆である清少納言の『枕草子』。
千年以上の昔、平安時代の中期に書かれたこの始めの段に、学生時代に古典の授業で触れた方も少なくないのではないでしょうか。
先日、海外で日本文学を教えている先生が、「英語で枕草子の授業をすると、親しみやすい訳のせいで『これ、ただのブログじゃん』と生徒に言われる」(意訳)とSNSでコメントしていらっしゃるのを見かけました。
まぁ、言ってみればそうなのです。
マンガ「ちびまる子ちゃん」で有名な、さくらももこ氏が学生時代に「君は現代の清少納言だ」と評されたように、随筆、エッセーは自分の見聞きしたこと、感想を自由に綴ったもの。その視点の面白さや、その題材を選ぶ感性、言葉選び……評価されるポイントは様々ですが、千年を越えて伝え続けられる程に、多くの人にとって感じ入るものがある、というのは間違いないでしょう。
当時の「紙」の貴重さを含めた、宮中の暮らしぶり等を知る資料としての価値も計り知れませんが。
(当然、意訳されたものでは本来の文のうつくしさだとか、技巧的な要素を知るのは難しいことでしょうし)

以前にもブログで情報が残るって凄い!という内容を書きましたが、技術の発展に伴い、日々発信される情報の量と質が爆発的に向上し続けているのに対して、情報の「寿命」が短くなっているそうです。
勿論、情報が更新されることによって「古くなる/不要になる」という面もありますが、「保存される/できる期間」に由来するものです。

情報の記録媒体は人類史において大まかに、
石 → 板/皮 → 紙 → フィルム → 電子媒体 という変遷を辿って来たであろうかと思われますが、持ち運びや記録可能な容量等の利便性が時代を経る毎に向上していく一方、耐久性や耐用年数は低くなっています。そしてそこに記された情報そのものへのアクセス難易度は近年著しく上昇しています。電子媒体なんて、再生に適した機器が無ければ中身なんて見られませんから。

参考:記録メディアの寿命ランキング
https://www.guardian-r.com/blog/osusume/20190315/1739/
2022/01/17閲覧

写真や動画を個人で簡単に撮れるようになった一方、その簡単さ故にデータが膨大な量になり、整理が追い付かない……という事態も起こりがちです。
フィルムカメラの時代には、現像しないと確認できなかった写真の出来も、今は撮影した次の瞬間には見ることができます。
一方でフィルムカメラ時代の写真は、当時アルバムに整理せず、現像しっぱなしの物を実家の断捨離で大量に発見したりもします。(片付けの手を止めるトラップ)


そういった時間が経った現像写真は保存状態如何によっては色あせたりしていますが、見ることはできるし、ネガがあれば新たに現像も可能です。
でも最近のデジタルデータは、保存媒体の耐久期限を思うと、ちょっと心配です。
高精度な分、複数バックアップ・定期的な保存媒体の更新……保存用クラウドサービスも、管理者が存在する以上、永遠ではありません。
Web上には何でもある、と言いますが、ネット黎明期の個人サイトが作られたレンタルサーバー等がサービスを終了したことに伴い、探すと見られなくなったサイトが沢山あります。
そうでなくても、スマホのデータが消失することを想定していなかったばっかりに、子どもが生まれてからの写真が全て消えた!と携帯キャリアにクレームを入れる案件もあるようで……。


デジタルデータは壊れるもの、いつ消えてもおかしくないもの、と心得て、対策を取るしかないようですね。怖い。

マルワではお客さまから原稿を、データで頂くことがままあります。
メールに添付して頂く場合も、データ転送サービスをご利用頂く場合もありますが、まだまだUSBメモリは現役です。
原稿データを取り出す際に記録された内容を表示した時、今回使う原稿以外……会報誌の歴代データだったり、個人的なものと思われる写真だったり(一覧表示で確認するので、誓って中身は見ませんが)、もしかして、お客さまが扱ってみえるデータの全てがこのメモリに入っているのでは……なんて方も。
バックアップを取ってあることを祈るばかりです。
USBメモリは熱にも衝撃にも強くありませんし、経年あるいは使用頻度如何によっては「何もしてないけど(何もしてないから)壊れた」が発生します。くれぐれもご注意ください。

長々とぐだぐだ書いてきましたが、結論。
技術の進歩で情報の質も量も爆発的に増えたけれど、結局百年、二百年、その先に残る「情報」は保存管理にかかるコストやリスク的にも、取捨選択されたごく一部なのだろうな、ということ。
そして昔々から残っている「情報」は、後世に伝えようとした人々の努力や工夫の成果だということ。
いわゆる「古典」に触れる時、ただ古いもの、ということ以外に、どんな価値・意味を見出されたものなのか考えてみるのも面白いかもしれません。

少なくとも枕草子が令和の今にも伝えられているおかげで、千年前の人も同じように日本の四季に暮らし、美しさを見出して生きていたことが知れるのですから。
残念ながら私は寒がりの寝坊助なので、雪舞うの早朝の美しさを感じれる機会は少ないのですが。

それはそれとして、現在の技術では個人の私的なデータ(写真や動画等)を守れるのは自分自身だけですので、適切な保存・管理をお忘れなきよう。

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