遥か天平の頃より

歴史研究において、「文書」の位置づけはとても重要なものです。
もちろん、土中・水中から発掘された「もの」から分かることも多いですが、それがどんな「もの」であるかを推察するのは(価値観も生活用式もまるで違う)現代の人間である以上、現代の知識・感覚の延長となります。そうして分かった(想定された)ものは、果たして「真実」と言えるのでしょうか。


とは言え、「文書」として残っていても、100%間違いなく読み解くことができるわけではないのですが。
その理由の1つとして、「書き残す」ことのハードルがあると言います。
現代のあらゆる記憶媒体がそうであるように、紙も羊皮紙も適切な管理なくして長期間保管するのは難しいことです。その他、識字率だったり、時代によっては、そもそも紙などが高価で手に入り難かったり。
時代をさかのぼる毎、現存する「文書」は、特別な、とっておきの内容「のみ」が記されている、なんて場合があるそうです。
ある流派の剣術の奥義だったり、重要な儀式でのみ食される秘伝のレシピだったり。
そんな重要なことが書いてあるなら、当時を知るには十分では?とも思いますが、残念ながらそうはならないとか。
本当に重要な部分のみが書かれているため、当時の「常識」だった基本中の基本がどのようなものであったかが記されていないのです。基礎あっての完成。キャップストーンとなる資料はあっても、結局土台は想像となってしまう……なんてこともあるそうです。

少なくても現代の「一般的なくらし」を遥か未来に伝えるには、私たちが当たり前の常識だと、考えるまでもないことだと思っている物事こそを記録して、残さなければいけないのかもしれません。
「何故、食事の前に写真を撮るのか」とか。

昨今はともかく、日本は古来からの「記録」がよく伝えられている国として有名です。
(千年以上も毎年花の開花記録を付けている民族は世界的に見てオモシロ過ぎる)
歴史書、国の正式な記録として以外にも、道具の保護・保管のために使われていた古紙(ヤレ紙)に書かれていたメモ書きが新発見に繋がったりすることが現在でもままあり、今後も続いていくことでしょう。

そんな当時の「一般的なくらしぶり」が垣間見える文書が多く伝えられている「正倉院」。年に一度の一般公開特別展が、奈良国立博物館で開催中です(会期:2021年10月30日(土)~11月15日(月)、公式特設サイト:https://shosoin-ten.jp/)。
収蔵作品はポスター画像に選ばれるように聖武天皇の遺愛の工芸品が多く有名ですが、そうした品々以外にも東大寺大仏開眼法要に関係する品々や経典、「正倉院文書」と呼ばれる膨大な史料が収められています。
展覧会で見る「文書」は基本派手さに欠けて地味に感じますが、こうしたものの中には面白い内容も多々あります。

 お腹が痛いので仕事を休みますが、怒らないでください(意訳)という上司宛の手紙(言伝て)とか。
 お米を都合してくれて有難う、急いで稲刈りして返します
(意訳)とか。

そんな親近感を感じる文書ですが、紙が当時貴重だったために、裏返して使うなどした結果残ったものも多いそうです。勿論、収蔵目録や出納帳などの公文書もあります。

いろんなことが分かる文書たちですが、一大プロジェクトであった写経に携わった人々の記録も多く、中には写経された経典の裏(表装すると隠れる部分)に、写経完了日と校正者2名の名前があるものがあり、そこに添えられた文によると、

「第1校正者■■の後に第2校正者●●が誤字を5つ見付けた(意訳)」そうで。


自分のチェック後にミスを5つも発見されてしまった第1校正者何某の心情を思うと、何とも胃がキュッとなる私です(社内校正担当)。


何十何百とある経典の写経は、国家の最高権力を持ってしても完成までに何十年と必要な超重要プロジェクト。時間も費用も嵩むだけに、手書きですが間違いは許されません(何より罰当たり)。写しっぱなしではなく、チェックを行うのは当然ではありますが、そういう「仕事」をしていた人達が「居た」ことがはっきり分かる……とてもロマンティックじゃないでしょうか?

千年以上の彼方より今に。紙の「文書」、素敵です。

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