寛容な心とFirst World Problems。

それ、そんなに大事なことですか??

というようなことが(明確なルールなんて存在していないにも拘わらず)「常識だから」「マナーだから」といってまかり通り、その「常識」「マナー」から逸脱している人を徹底的に批判したり、腹を立てたりする風潮があります。

特に最近はSNS上に、いわゆる「民間マナーポリス」がウヨウヨしており、ちょっとした言動に食いついては批判を展開しています。

……なんか疲れませんか?

どうも、マルワのシャドーサイドあれこれ担当です。

本日はお互いを思いやる寛容な心を持ちましょうね、というLOVE & PEACEな小話です。


例えば、目上の人や上司に送るメールに「お疲れ様です」とか「了解しました」と書くのは失礼だという説があります。

「お疲れ様です」は社内限定であれば特に失礼なことではないので目上の人にも使って問題ないが、社外の人や著名人などの直接知らない人に対して使うのは失礼になる。「了解しました」は社内であっても失礼なので「承知しました」を使う、ということ(らしい)です。

また、服装や髪形等の外見についてもよくわからない「常識」「マナー」は無数にあります(ビジネスシーンではデイバッグは失礼だとか、女性はスカート着用だ、とかは個人的には違う星の話ですか?というレベル)。

あと、始業時間の30分前には出社して準備をすることが「常識」だとか、新人が準備をするのが「常識」だとか何とか……(業務上必要な準備は「仕事」なので始業後に作業者が行えばいいことだと私は思います)

なぜそれらが「常識」「マナー」として「正しい」ことなのか?については明確な根拠は見当たりません(私が無知なだけかもですが)。ネットで調べても、人に聞いても、本を読んでも、「そうするべきだから」「昔からそうしているから」「気分を害する人もいるから」という程度のものばかり。


もちろん、一般的に「常識」「マナー」とされていることが間違っている、と言いたいわけではありません。それはそれで一つの正解だと思っています。

でも、正解は一つだけではないのではないか?ということです(当然ですが、「常識」「マナー」以前に法令・条例・就業規則等のルールを守っていることが大前提です)。

自分の思う「常識」や「マナー」に適合していないからといって相手を批判するのは、相手よりも自分の方が「正しい(上位だ)」という認識を持ってしまっているということだとも思います(自分よりも下の者が上の者である自分の考えに従わないので批判する、または怒る)。

もちろん、相手を敬って、なるべく不快な思いをさせないように……という配慮を忘れてはいけませんが、それはお互い様であって、どちらかが一方通行でするものではないですし、少し配慮に欠ける(と思う)からといっていちいち腹を立てたり批判するのもなんか違うのでは……と思いませんか?

ちょっと言葉遣いがおかしいだとか、服装や髪形が(その人にとっての常識からしたら)非常識だとかいって腹を立てたり批判したりせずに、「いいよ、いいよ」となっていけば、もっといい世の中になっていくのではないかと思うわけです。

なんというか、世の中の減点主義が加速しているような気がして嫌だな、と。

(自分にとって)問題がないところが100点で、なにか間違い(気に食わないこと)があると減点されていく……というのは日本のテスト方式(満点から間違えた分だけ減点するやり方)に慣れているせいでしょうか?

逆の加点主義的(ゼロスタートで、これは素晴らしい!ということがあると加点されていく)に考えるほうが気が楽ではないかと思うのですが。

……などと書くと、常識やマナーとされていることを批判しているお前も寛容ではないじゃないか!と突っ込まれそうですが、ここに書いたのは批判ではなく、こういう考え方もあり、これはこれで一つの正解かもしれないので、「そうは思わない」という方にも頭の片隅にちょっとだけスペースを空けてこんな考えも入れておいていただけたらな、ということです。

いつものように長くなってしまったのでまとめます。

【本日のまとめ】

小さなことは気にせずに(立場関係なく)、寛容な心を持ちましょうよ

自分の思う正解だけが正解ではないのでは?と疑ってみると何かみえてくるかも

ということでした。

ここに書いたような問題って、“First World Problems(恵まれた環境における些細で贅沢な問題)”なんじゃないかな、と思います(不条理なルールやしきたりはfirst world以外の方が多いとは思いますが)。

本題から外れますが、SDGsやCSRにどう取り組んでいくか?というような問題(悩み)も“First World Problem”だと思っています。SDGsの〇番がどうしたとかは大した問題ではないので、もっとイージーに考えて未来のために・恵まれない環境で生活する人たちのために、できることをできる範囲で行動していけばいいのではないか?と思いますし、「常識」や「マナー」とされていることを少し見直していかないと、そういった活動(持続可能な社会?)は前進していかないのではないでしょうか。

そんな私の頭の中では、Ian Brownの“First World Problems”の緩いビートと、やんちゃおじさんチャリライダーなMV映像が脳内リピートしております。

本来気楽に生きられるはずの世界で、贅沢な悩み(問題)をわざわざ抱え込んで生きにくくしているのではないかと自問自答してみた、というブログでした。

それにしてもIanのやんちゃくれな雰囲気は昔から変わりませんね。

カッコいい。

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