秘伝のタレじゃあるまいし。

とっても私事なのですが。
以前、異業種で働いている、妹から後輩指導の話をしていた時のことです。
まあ、教育論とかそう言う建設的なものではなくて、どこまで指示すれば良いのか分からない、という愚痴よりの雑談めいたものでした。

曰く、そのお店の新人さんは、シフトの日は給水ポットに水を充填する役目があるとか。
(その日シフトに入った人で、社歴が短い人が率先してやる決まりだそう。)
一般家庭で使う、そう大きくないサイズのものだそうですが、当然、毎日水を入れる必要があります。
妹としては、一度前日の残り水を捨てて濯いで(入っているのは同じ水ですが気分として)、新しい水を注いでいると思っていたそうです。
が、何となく見たら、前日の残りに、減った分だけ追加していた、と。

その話を聞いた時に思わず言った私のツッコミがタイトルです。
なお、思わず妹も同じことを後輩に言ってしまったそうで。

秘伝のタレじゃあるまいし。

 

この件の我々姉妹の結論は、説明をする際に、ポットの水を補給するのが新人の役目のひとつ、程度にしか伝えてなかったから仕方ない。今後はやってほしい工程をできる限り伝えるよう心掛けるしかない、となりました。
衛生観念とか、その辺りは人それぞれですもんね。
始めてやることの場合、言われていなければ何が気に掛かるか、なんて。それぞれ。

 

今回の主題はそこではなくて、ツッコミの方です。

名古屋育ちの我々としては、継ぎ足し注ぎ足しの良きものと言えば鰻なので、存在として極めて自然な発想だったのですが、果たして明快なコメントだったのかと思ったのです。
同じ家で育った家族故に同じことを思ったのか、少なくとも、「秘伝のタレ」が尊重される料理がメジャーな地域なら理解が得られるのか、はたまた、日本人の殆どには自然に受け入れられる返しだったのか。
ツッコミを聞いた後輩に、良く分からないというリアクションをされた、という妹の報告からずっと、気になっています。

 

言葉や言い回しはそれぞれの文化に根差したものですから、基本的に感覚を共有する(あるいは知識として理解する)者同士でなければ伝わらないものです。
翻訳された海外小説の喩え話やジョークの意味がニュアンスくらいしか、時にはサッパリ分からないのはそれが理由ですよね。

でも、同じ事象に対して異なる表現、見方があるのは当然なことで、だからこそ新しく知れることは面白いのだと思います。
何をどう感じるのかは、人それぞれ。多様性とか表現の自由って、そんなことなのかも。

三月は多くの人や団体にとって、まとめの時期。
文集や論文や報告書のお仕事をしながら、時々思いもよらない発見をするのが楽しいです。
挨拶状やお礼状の文面も人それぞれ、個性がいろいろ。
お客さま毎、案件毎に全部違う、印刷ならではの面白さの一つだと思います。
全ての方に喜んで頂けるものをお届けできるように頑張らなくては、なんて。

 

妹との会話は半年以上前のものですが、鰻屋さんを見て思い出したのでひとつ。

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