一度きりの人生なんだからおもいっきり楽しもう!
とか、
細かいことは気にしないでいこう!
とか、
ハイテンション!イエ~イ‼
とか…
ウンザリしますよね。
「多様性」とかいいながら、結局のところひとつの(多数決的に一般的とされる)価値観が強く、それ以外の価値観を積極的には受け入れない風潮がなかなかなくなりません。村上春樹的に言えば“やれやれ”、シュルツ的に言えば“Good Grief”と思うことが多いです。年末年始は特に多かったように思います(当社内のことではなくて世間一般的に、です)。
どうも、マルワのシャドーサイドあれこれ担当2019です。
先月の視点に関するブログの続きのような内容になりますが、今回は「多様性」についての小話です。
朝早くから夜遅くまで仕事をすることに価値を見出す人もいれば、定時きっかりに帰って、仕事とは別の時間(習い事や趣味の時間、友人・家族との時間等)を持つことに価値を見出す人もいます。
飲み会で大いに飲んだり騒いだりすることが好きな人もいれば、黙々とから揚げを食べるのが好きな人もいます。
ライブハウスの最前列で踊り狂うのが気持ちいいと思う人もいれば、最後列で壁にもたれてじっと聴き入っているのが気持ちいいと思う人もいます。
洋楽や洋画は何言っているのかわからないから嫌いという人もいれば、邦楽や邦画は言葉がストレートに入りすぎて嫌いという人もいます。
目玉焼きには醤油!という人もいれば絶対にソース!という人もいます(塩、ケチャップ、お酢、マヨネーズ等他の派閥も大勢います)。
人生楽しんでなくたって、細かいこと気にしまくりだって、ノリが悪くたって、自分とは何かが違っていたって、それならそれでいいじゃないか、みんな生きているんだから、と誰もが思えれば、世の中もっと良くなる気がします。それが「多様性」ではないかと。
ですが、多様性を認める系の話になると、「理解してひとつになろう=手を取り合ってひとつの輪になろう」といったやや過干渉気味な論調が多いように思います(気のせいでしょうか?)。
違う価値観を「認め合い共存する」ことが大事なのであって、そのために、必ずしも(少なくとも完全には)ひとつになる(輪になる)必要はないし、適切な距離感を保ってお互い居心地の良い場所にいればいいのでは?と思っています。
例えば、↑に出てきた目玉焼き。醤油派とソース派がいて、目玉焼きはひとつしかない場合。
ソースの魅力や醤油のすごさをお互い理解し合おうとグダグダしてるうちに焼きたての目玉焼きは冷めて美味しくなくなってしまいます。ましてや、ソースと醤油を混ぜてかけてしまっては美味しくないはずです(少なくともお互い満足はできないはず)。
そんな時は何も言わず、そっと目玉焼きを半分に切って皿に取りわけて、ソース派はソースを、醤油派は醤油をかけてお互い美味しいねって微笑み合うことが多様性じゃないですか、というのが私の考えです。
その際に、ソース派の人から醤油派の人に向かって「一回くらいはソースで食べてみなよ、きっと美味しいから!(withスマイル)」などと言うべきではないと思っています(醤油派の人が自ら「今度自分もソースをかけてみようかな」と言ったら、そこではじめて「ぜひぜひ!(withスマイル)」と言えばいいだけですよね)。
伝わるでしょうか?
平熱35.7度の私が今こうして社員ブログを書いている時点で当社はわりと多様性を認められる環境にあるようで、ありがたいことだなと思います。
余談ですが、「ハイテンション」や「テンション下がるわ…」等というように、普段何気なく「テンション(tension)」を「気分」っぽい意味で使っていますが、本来的には「緊張」とか「不安」的な意味(ピンっと張りつめている状態を指す)なので、個人的には「ハイテンション」=「過緊張」とか「極度なストレス状態」の方が使い方として正しいと思う&そういう意味なら私も十分ハイテンションだなと思う今日この頃です。
本日はEテレの名物朝番組「シャキーン!」で人気のあった和製英語アンセム、“ハイテンションサラリーマン”が脳内リフレインする中で書いたブログでした。
この歌の歌詞にも「サラリーマン」「ペットボトル」「スキルアップ」「コストダウン」等、たくさんの日本独自のカタカナ英語(和製英語)が登場しますが、これらも「多様性」のひとつといえそうですね(ことばの多様性的な?)。