「誰かの願いが叶うころ あの子が泣いてるよ」
これは宇多田ヒカルさんの「誰かの願いが叶うころ」という曲の中の一節。
「あなたが幸せを感じている裏で悲しんでいる人がいる」
「あなたの幸せは誰かの犠牲の上に成り立っている」
といったところでしょうか。
なんとも切なく、考えさせられる歌詞です。
さて、私は毎回ファッションを題材にブログを書かせていただいております。
いつもは既に完成している服に対して、自分なりの考えをまとめることが多いのですが、今回は裏方の生産過程にスポットを当ててみたいと思います。
例えば、今みなさんが着ている服。
一体誰が作ったものなのか考えたことはありますか。
製作者がどういう人か、あらかじめ情報がわかっているようなハンドメイド商品でない限り、恐らく考えることはないに等しいでしょう。
では、私たちが普段店舗やネットで購入している服はどうでしょうか。
その中でも、特にファストファッションは安く手に入り、消費者側にとってはとてもありがたい存在なのですが、その安さが時に怖く感じる時があります。
実際に、世界のアパレルメーカーはこぞって、より人件費が安く済むような貧しい国に目をつけ、染色や縫製を行なってきました。
そうなると、予想通りというか、やはりその労働環境は劣悪な場所が多いというのが実態です。
いじめや体罰は当たり前。
私たちが想像もできないような最低賃金での労働。
染色による川の汚染。
今上げたもの以外にもたくさんの問題があります。
記憶に新しいのは、2013年の突如バングラデシュのアパレル工場が崩壊した事故。
その死者はなんと1200人以上。
重軽傷者は2300人、行方不明者は500人にも上ります。
このような事故が起こってから、ようやく各アパレルメーカーは本格的に生産過程に向き合うようになったのです。
皮肉な話ですよね。
私たちの仕事は、一つ一つの案件に対して、目先のユーザーだけでなく、さらにその先のエンドユーザーも意識しなければいけません。
しかし、こうした環境下で働く人たちは、自分たちが作っているものがどこの誰が使うかなんて、きっと意識することはないのでしょう。
いや、むしろそういう次元の話じゃない気がします。
意識がないというよりも、そんなことを考えている余裕なんてない、と言ったほうが正しいのかもしれません。
生きていくために、家族を養うために。
ただ必死に目の前の仕事を捌いている人たちにとって、作るものが繊維でもプラスチックでも何だって良いのです。
きっと仕事に対する意識は、先進国で生まれた私たちとはまるで違った種類のものなのでしょう。
そして、恐らく私たちには到底理解できないような思いで働いているのでしょう。
服を作る意味を考えたり、楽しさを実感することができるのは、環境や心の余裕ありきの話だと思います。
私たちが楽しんで着ている服は、誰かが命をかけて作ったうちの一着だということを忘れてはいけないですね。
そんなわけで、冒頭の一説が頭をよぎったということです。
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