いつか、さった、あとは。

以前、この社員ブログで「忘れられる権利」や記録されないSNSについて書いたことがあります。

自ら能動的に削除する、またはSNSなどのサービスから退会しない限り、自分の情報がインターネット上に残ってしまうことについては賛否両論あり、はじめから “残さない” ことを前提としたサービスも登場してきました。

いつまでも残っていて欲しい情報もあれば、すぐに消えて欲しい情報もあり、同じ情報でも、立場や考え方の違いによって「残して欲しい / 消して欲しい」は変わってきます。

 

どうも、マルワのシャドーサイドあれこれ担当です。

本日は、「さったあとにのこるもの」について、配慮や本人の意思の尊重が最優先ですが、ルールや手順を予め決めておくことも大事ですよね、という、少しだけ感傷的な小話です。

 


自分に関する情報(テキスト情報・写真・映像など)は、おそらく自分が思っている以上に沢山存在し、不特定多数の「他人」に見られています。

プライベートでSNS等インターネット上に自ら投稿・公開した情報以外にも、自分が所属する会社や団体の活動、参加したイベントの様子が撮影されてインターネット上に公開されることもありますし、広報誌や掲示物などの印刷物に掲載されることもあります。

何かをしている「様子」や集合写真以外にも、何らかの意図があって自分が「主」となるような写真や映像を撮影され、公開されることもあります(社員・メンバー紹介やアップで撮られた写真など)。

基本的には、自分も納得(同意)したうえでの撮影&使用のはずですが、なかには知らないうちに撮影された、または拒否したのに撮影された写真や映像が使用されていた……ということもありえます。

まず基本的なことですが……

どんな人にも肖像権やプライバシー権、つまり、自分の容姿をみだりに使用されない権利があります

自社社員を「仕事の一環として」撮影し、自社に関する情報発信のためにインターネット上に公開する(または印刷物に使用する)のだから、そんなのは会社の自由でしょ!とはなりません。

イベントには自分の意志で参加したのだから、そこで撮影されるのも、撮影した写真をインターネット上に公開するのも、主催者の自由でしょ!ともなりません。

そもそも、顔がはっきりと映っているような「個人を特定可能な映像・画像」は個人情報です。たとえ自社内であっても(たとえそれが仕事であっても)取得(撮影)・利用(SNS投稿・印刷物などへの掲載)には、本人の許可(同意)が必要です

昔はそんなこと気にもしてなかったのに……ではありません。昔から個人情報を取得・利用する際は本人の許可が必須でしたが、そういった意識があまりにも低すぎただけです(今はほんの少しだけ、そういったことへの意識が高くなってきた、ということ)。

※弊社のSNSやHP、広報誌等には頻繁に社員が登場しますが、社員と会社の同意のうえで撮影・掲載しております。

本人の許可は書面などカタチが残るようにすることが理想ですが、少なくとも「〇〇に使うための写真を撮らせてね!」と、ひと声かけるようにして、断られたら撮影&使用はやめましょう 。

許可(同意)を得る際は、少なくとも以下について明確にしておきましょう。

  • どのような目的で撮影するのか(何に使うのか)
  • どのような範囲で利用するのか(メディアの種類や公開範囲、公開期限など)
  • 異議申し立てや削除要請への対応(問合せ先や責任者の明示)

イベントの場合は参加者募集時に、会社の場合は入社時に、上記のような内容を説明し、「参加または入社する=撮影・掲載に同意したこととみなす」というようなやり方もあります。

そのような同意の取得でも概ね問題はないと考えられますが、同意できないなら参加させない、入社させない、というような圧力のある同意は問題があるので、撮影や写真の使用には同意できないけど参加(入社)はしたい、という人も認める(無理やり撮影しない・写真を使用しない)、とか、個人を特定できないように使用する(顔や名前がわからない程度に使用する)、削除要請には迅速に応じる(個人が特定できる写真や映像の場合、原則削除要請には応じなくてはいけません)といった配慮・対応も忘れないようにしましょう。

もちろん、取得時(撮影時)に明示した「利用目的」を超えた利用は厳禁ですし、どうしても当初の目的以外で利用したいというのであれば、改めて本人から同意を得る必要がありますので、それもお忘れなく(例えば、当初会社の公式SNSへの公開目的のみだったが、会社案内にも使用したい、という場合など)。

 


写真や映像を利用する時に問題になりやすいのは、その写真や映像をいつまで&どこまで使用するか、というところです。

特に社員が退職した後やイベント終了後も継続して写真や映像を使用する場合は注意と配慮が必要です。在職中(イベント開催中)は写真や映像の使用を許可していても、辞めた後(終了後)は継続して使用(公開)してほしくない、という人も当然いますし、判例では、画像や映像の使用同意は在職中(イベント開催中)のみ有効と判断されることもりあります。

基本的には定期的にコンテンツを更新し、退職者や終了したイベントの映像は削除していくことが望ましいですが、過去の活動の記録として写真や映像を 継続して使用・公開する必要がある場合もあります。SNSやブログへの投稿の場合、過去の投稿から該当者の写真をすべて削除することが難しいこともあります。

それらを踏まえて、退職後・イベント終了後の写真や映像の使用について、社員と会社(参加者と主催者)の間で事前にルールを決めて同意しておくことも大切です。

特にインターネット上の公開については、いつまで公開するのか、どの範囲なら 公開 していてもいいか、 公開 を停止して欲しいときはどこに申請すればいいか……などを(できれば書面で)使用する側とされる側で事前に取り決めておくとよいでしょう。

もちろん、退職者・退会者の写真や映像を無期限&無制限に使用してもいい、というような同意はやや度が過ぎるため(同意が無効とされる可能性もあります)、できる限り退職者・退会者本人の意向に沿う内容にすることが望ましいですし、継続して利用するにしても、WEBサイトのメイン画像やSNSのバナーなど目立つところには使用しない等の配慮も必要です。

あくまでも提供者(社員や参加者)が「主」であり、写真や映像を利用する側(企業や主催者)は「使わせていただいている」という気持ちと姿勢を忘れないようにしましょう。

 

繰り返しになりますが、

その人であることが判別できる(特定の個人を識別できる)写真や映像は個人情報です。

個人情報は、利用目的を明示して同意を得たうえで取得し、同意した目的の範囲内でのみ利用し、目的達成に必要な範囲内でのみ保管する(=必要がなくなれば削除する)ことが原則

社員や参加者の画像や映像を適切に管理することも、企業や組織のコンプアイアンスです!

 


退職・退会しただけならまだしも、画像や映像に映っている人が亡くなってしまうケースだって考えられます。

個人情報として保護対象となるのは「生存する個人」についての情報であり、故人の情報は保護対象とはなりませんが、一方で、自分が死んだあとの個人データ(肖像)の利用についての意識調査では、家族や信頼できる相手以外の「他人」が自分の個人データを勝手に利用・閲覧することを認めてもいいと回答したのはわずか5%という調査結果もあります(参考:ITmedia NEWS 2021年07月05日 08時00分 公開「死後にデジタルで再現していい?」約6割が反対 理由は「意思確認できない」「死後も働きたくない」)。

インターネット上 に写真や映像が残 っているおかげで、「あぁ、こんなことがあったなぁ」「この人とそんなことをしたんだったなぁ」と思い出に浸ることができるのはいい事ですが、それはあくまでも残された側の一方的な思いであって、さってしまった人が同じ思いでいるとは限りません。

 

いつか、さった、あとでも、情報は残ります。

残った情報を責任を持って扱っていくことは、残された側の責任ですし、インターネット上に膨大な情報が残っていくこれからは、ますますその責任が重くなっていくのではないでしょうか。

 

……なんてことを書いている私の脳内では、ノイズの壁に囲まれて輪郭のぼやけた、どこまでも哀愁漂うメロウな名曲、My Bloody Valentineの “sometimes” が繰り返し再生されております。

インターネット上に残される情報について考えるきっかけになった “あること” があったすぐ後に(極私的なことなのでここには書きませんが)、Spotifyのランダム再生で流れてきて、思わず涙がこぼれてくるのに十分なくらいには名曲です。

公式なYouTubeの動画がないですし、歌詞も公式には公開されていない(探せばいっぱい出てきますが)ので、敢えてここには載せませんが、ソフィア・コッポラ監督の名作「ロスト・イン・トランスレーション(東京が舞台の、スカーレット・ヨハンソンとビル・マーレイが主演の映画)」でも印象的なシーンに使われていた名曲なので、YouTubeなどで聴いてみてください。 

因みに「 ロスト・イン・トランスレーション 」とは、「翻訳の過程で失われてしまう」というような意味合いで、単純に言葉が通じない、といううよりは、気持ちや考えをわかりあえない、微妙なニュアンスが抜け落ちてしまう、といった感じかと思います。

同じ「情報」を利用(取得)していても、その「情報」のどの部分を抽出して自分の中に取り込むか、どのように相手に伝えるか、で全く違う解釈になってしまうのも「 ロスト・イン・トランスレーション 」。

世の中も、自分も、なんだかそんな 状態になることが多いなぁ……なんて思ったりする今日この頃でもあります。

まぁ、いろいろありますが、そういうことなのかな、と。

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