(あるいは、どこを掘るべきか)
格好つけて意味深なニュアンスで攻めてみましたが、今回考えたのは「タイトル/標題」付けについてです。
名付けに関しては、商品名というカテゴリについて、昨年8月にネタにしているのですが、今回は個体名というよりは、記事に付けられるそれについて。
令和2年2月21日現在、COVID-19(新型コロナウイルス)によって、日本も世界も大変なことになっています。
愛知県も印刷業界も他人事ではなく、罹患された方の早い回復と対応にあたってくださっている関係各所の皆さま方の無事を祈念するところです。
こんな未曾有の事態にあって、公的機関や報道各所、医療関係者その他大勢が様々な情報を発信しています。
毎日毎時、新たな情報がSNSに投稿・拡散され、ニュースサイトの上位に来ます。
新聞もテレビも、あらゆる所で関連する話題が取り上げられます。
その話題が私たちの目に耳に触れる時、キーワードあるいは極めて短いセンテンスであることが殆どですが、その部分だけで正しい情報を受け取るのはとても難しく感じます。
速報ゆえの内容の精度であったり
目を引くトピックにするために強めの表現にしてあったり
内容を省略すると誤解されやすいものだったり
記事の中身をきちんと読めば納得できるものでも、タイトルとサムネイル画像だけで誤認しがちなものが多い様に見受けられます。
そして“炎上”している記事の多くは、内容を精査してもらえずに、切り取った一部分の“印象”だけにリアクションされているように思えるのです。
切り出し方のミスもあれば、記事そのものが誤っていた場合もあって、なんとも難しい限りです。
ある一つの伝えたい(主観的な)真実があったとして、それを余さず正確に伝えることは至難の業です。
個人個人でも全世界的に即時的に、手軽に発信できるようになった今だからこそ、情報を切り出す難しさと責任を考えねばと思います。
逆に受け取る時も。
きちんと内容を精査すること、セカンドオピニオンではありませんが、事実の正誤性を確認することを怠らずに。
良かれと思った個人の発信が、まったくの間違いだったと指摘された、という訂正の記事をこの数日、いくつも見ました。
告発・啓発・注意喚起の類の投稿は、その情報が誤りだったとして投稿者自身が訂正記事を発信しても、その拡散数は初めの投稿の半分にも満たないことが殆どだとか。
そうなると、間違った情報のみを目にした人が多くいる、ということになります。
自分が受け取った情報が、そうではないと言い切るのは困難です。
その情報を元にして、何らかの決定をするとき。行動をする場合は、選択した以上情報の真贋はさておき、選んだ自分自身にも責任があることを忘れずに。
それでもせめて、情報の発信元が責任をとれる存在なのか(責任を問われる立場なら、意図的に誤った情報を出す可能性は低いだろうという希望的観測の元)を確認した上で取捨選択をしなくてはいけないな、などと考える今日この頃です。
ボケっと押し流されて行かないように。
自分も、家族や周りの人たちもより良いところにたどり着けるように。
とは言え、今年の桜の開花予想も出たことですし、良き報せの在処を教えて欲しいものです、ワンワン
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