うれしかったこと

今年も残すところ2週間ほどになりました。振り返ってみると嬉しかった出来事もいくつかあるのですが、その中の一つが、学区の学童保育所が都市公園の中に移設が決定したことです。
学童保育所というのは、保護者が就労などで放課後の保育が難しい子供たちを預かってくれる場所です。息子も小学校の6年間お世話になり、竹馬やコマ回し、ヤットコなどで遊び、夏には学区の夏祭りでお店を出したり、キャンプに行ったり、高学年になるとトーチトワリングや佐久島までのサイクリングと様々な体験をさせてくれました。父母たちも子供たちの行事に一緒に参加することで繋がりが強くなり、息子が卒所して12年経った今でも数家族は家族ぐるみの付き合いをしています。
出身が県外で、近くに友人の少ない私にとっては学童保育所がつないでくれた縁は特別なものとなっています。

名古屋市の学童保育所というのは民設民営が原則で、父母側が学区内に土地を確保すると、市がプレハブをリースで建てて提供してくれるという仕組みですが、土地の所有者の方が高齢になったり亡くなられたりすると、返還しなければならなくなり、その度に新しい土地を探さなければなりません。
私も息子が2年生の終わりに学童移転を経験しました。それまで400坪の土地を借りていて、当時80名ほどいた子供たちの受け入れ先探しには困難を極め、なんとか2か所を確保したものの、次は近隣住民の方々の理解を得なければならないため、移転の中心に立って動いていてくれた人は何度も住民の方と話し合いを繰り返す日々を送っていました。
当時子供が低学年の私たちはその姿を見守るしかありませんでした。特に難色を示した方から「塀の建設」を要望されれば、休日を利用して保護者総出でプレハブの保育所が隠れるくらいの塀を建設しました。建設途中あいさつに伺った別の住民の方には「休日に塀作りなんて自分達は楽しいかもしれないが、こっちは迷惑だ」とお叱りをうけ、悲しくなったことは今でも忘れることができません。
いろいろな問題を少しずつ解決しながらなんとか移転を済ませたものの、移転の中心になって動いていた方は精神的に参ってしまい、学童を退所、職場も休職することに。さらに古くからいた指導員も辞め、子供の数も半分に減少という結果になってしまいました。

その学童保育所が10年後の昨年、また移転を余儀なくされたと聞き、また私たちの時と同じつらい思いをされているのかと思うと心配でなりませんでした。
やはり今回は空地も見つからず、狭いテナントを借り、仮運営をするという大変な苦労をされているようでしたが、2年前に改正された「都市公園法」の解釈では近くの公園内に学童保育所の移設は可能ということを知り、市への申請を行ったところ受理され、近隣住民の理解も得られて来春には開所の運びとなったそうです。
時代とともに学童保育所の形も変化し、父母の負担の少ないトワイライトスクールや民間企業が運営する学童保育所も増えていますが、父母が運営する学童保育所だから経験できることもたくさんあるので、これからも続いてほしいと切に願います。

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