下げる必要なんてない。

最近はSNSを使って、色々な作家さんの自分の作品をPRしている投稿に出会います。
今まで(それなりに資本力のある)企業だけだった全国的な広報が、工夫や人脈(フォロワー数)、タイミングの兼ね合いもありますが、個人で行えるようになりました。

しかし新しい発見や出会いが多い一方、全国、全世界的に広める手段のハードルが下がったために、従来のコミュニティ(昼休みのおしゃべり、近所の口コミ)では問題にならなかったことが、大問題になることが爆発的に多くなったように感じます。

友達(フォロワー)だけを考えて、一個人が「オススメ!」とPR記事を書いたとして、それが限定公開ではなかった場合、その内容が良きにつけ悪しきにつけ、気になったひとがいる限り、どんどん拡散されていくわけです。

人間の感じ方は人それぞれです。

生来の感覚であったり、育った地域・環境、現在の状況……同じものを見ても、異なる感想を抱くものです。

実生活において身近な人は、その感覚が似通ることが多いので、身内では誰も引っ掛からなかった内容が、拡散された先の「知らない他人」にとっては不愉快な内容だった、なんてことも。
勿論、生身で対面して会話する場合に感じ取れる表情・声色等々のニュアンスを文字だけでは伝えられない、ということも要因の一つですが。

 

さて、何が言いたかったかというと。

先日、Aというスポーツ(国内ではマイナー気味)のファンが、AのアピールポイントをTwitterの140文字で投稿した際、Bというスポーツ(メジャー競技)を引き合いに出していたのです。
単純な違い(比較)として、私はAにもBにも詳しくないので「そうなんだ~」程度の感想だったのですが、Bが好きな人にとっては、Aに劣る、と言われたように感じるのでは、というコメントがあったのです。

自分の好きなものを貶められた時、比較対象そのものは悪くなくても嫌いになってしまうことは、ままあることだと思います。
せっかく好きになってもらいたくて発言したのに、好きになってくれた人の方が多かったとしても、嫌う人を作ってしまったら、悲しいですよね。

 

競合者を蹴落とすためのプレゼンではないのなら、いえ、たとえそうだとしても、○○はここがダメだけど私は!というよりも、良いところだけを発言する人の方が心証は圧倒的に良いのではないでしょうか。

特に営利の関係ない、他の人にも自分の「好き!」を知ってもらいたいと思っている場合は
他の人にも好きになって貰いたいのなら。

 

きっと、投稿者にはそんなつもりは無かったでしょうが、瞬く間に手を離れ、想像だにしないところまで発言が届く、便利さと怖さ。

 

 

週番の担当のFacebook更新、広報誌、そしてこのブログ。
人を傷つけない、ポジティブなものにしたいな、と思います。
絶対にその方が、好きになってもらいやすい筈ですから。

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