人の好みと、失敗談と

「はじめて見かけた炭酸飲料を試しに買って飲んだら、僕の口に合わなかった」

これは週末の僕が経験したことですが、どう お感じになるでしょうか?

「知らない飲み物なんか買うからだよ」

「評判を調べてから買えば良かったのに」

「いつも飲んでいるモノは売ってなかったの?」

基本「口に合わない=悪いこと」ですから、そう思うのは充分わかります。

 

一旦、話を変えます。

 

昨夜、ピン芸人日本一を決める「R-1ぐらんぷり」が開催されました。

頭では「面白いと思うものは人それぞれ違う」と、わかっていても、自分が面白いと思った芸人さんより、自分が面白くないと思った芸人さんの方が点数が高いと「自分が面白いと思ったことが間違いである」と否定されてしまったように思えしまうのでしょうか、毎回、お笑いのコンクールがあるたびに「あっちの方が面白かった」「いや、こっちの方が僕は面白いと思う」などSNS上で話題になります。

自分が面白いと思った芸人さんが見つかったことが大切で、ライヴに行ったり、DVDを購入したり、出演しているテレビにチャンネルを合わすだけで幸せになれるのに……。

 

飲食店や映画などの評価サイトの評価を見て、行く行かないを決めないようにしています。

美味しいと思うモノ、面白いと思うモノは、人それぞれ違うことを知っているからです。

まず自分の直感で行ってみる。

そして自分が感じた「美味しい」「面白い」「嬉しい」「楽しい」を信用する。

あとは「口に合わない」「つまらない」「悲しい」「辛い」という失敗した体験をしたとき、人に話すときウケが良いし、案外、そちらの方が思い出話として記憶に残っていることもあるとポジティブに考える。

大きく言うと「失敗しないことは幸せなのかもしれないが、面白い人生では ないかもしれない」と肯定的に考えます。

 

「ウケとか思い出話とか いらないから、失敗はしたくないなぁ」という方、ごもっともでございます。

そんな方には、野村克也さん(元シダックス監督)の「勝ちに不思議な勝ちあり、負けに不思議な負けなし」という言葉を。

自分流に解釈すると、世にある「成功例」の多くは「その人だから」や「その時代だから」や「その場所だから」などの「運」が多く含まれており、役に立ちにくい。

失敗したことは、要因を洗い出し、1つずつ潰して行くことで「次は失敗しない」言い換えれば「成功の糸口」が隠れていると考えます。

 

では冒頭の「はじめて見かけた炭酸飲料」

・自分で飲んでみないと、自分の好みの味かわからない。

・口に合わなくても、笑い話にできる。

・口に合わなかったとき、失敗の教材になる。

そう考えると、買わない理由がないではありませんか?

 

「その炭酸飲料の失敗の教材は、いつ活かされるの?」

「人生長いですから、いつか役に立つはずです!」

「そいつはダメだ」

「なんでです?」

「時間が長いと、お前も炭酸も気が抜けてしまう」

面白いと思うものは人それぞれ違うものです。

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