「伏線回収」というものがありますよね?
物語の途中で登場した人物や行動、セリフ、道具などなどが、実はこういう意味があった(アレとコレは繋がっていた)的な、ある種の謎解き的なアレです。
昔からある手法ですし、それを考察してああでもない、こうでもないと言うのがひとつのエンタメなのですが、数年前くらいから、なんとなく「伏線は回収されなければならない」ということが強調され過ぎて(期待され過ぎて?)いる気がします。
回収されない(穴が開いたまま)で終わってしまうと批判されてしまうような風潮が強くなっている気がします(気のせいかもですが)。
すべての現象に意味を持たせたくなったり、穴があいていたらどうしても埋めたくなったりしてしまうのが人間なのかもですが、個人的には特に意味のないことがあってもいいし、穴が開いたままでもいいのではないか、と思ったりします。
物語の中だけではなく、生活の中や仕事の中では、そもそも何が「伏線」になるかなんて自分でもわからないし、それが回収されたのかされていないのかもわからないこともあります。
生活や仕事の中でできる「穴」は基本的に埋めなければいけないものかもしれませんが、時と場合、または穴の種類によっては必ずしもすべて埋めなければならない、というのでもないような気もしています。
伏線が回収されたかどうかなんて人生がクローズしてみないとわからないかも。
空いたままの穴に意外な使い道があるかも。
なんてことを思いつつ、本日の社員ブログ当番の空きができてしまった(穴が開いた)ので、その「穴埋め」をしてる最中、ゆらゆら帝国の名曲 “空洞です” が頭の中で流れているのでした。
この歌の主人公は、自分が「でかい空洞」であることを「面白い」と歌っています。そして、この曲は彼らの最後のアルバムの最後の曲でもあります。バンドの集大成が「空洞」というのが、達観してるなぁ、と。
なんて、空洞な話で失礼しました。