卒業文集や卒業証書の作成依頼が入ってくると、そろそろ卒業シーズンになってきたなあと実感します。
学生生活の中で楽しかったことや苦しかったこと。
今でこそ「そんなことで悩むの?」と思うようなことも、とにかくその当時はいっぱいいっぱいなんですよね。
そんな貴重な瞬間の思い出づくりの一端を担うことができるのは印刷会社の特権ですね。
ところで、自分の過ごした学生生活の中で「あれ、なんだったんだろう?」と未だに私の記憶の片隅に残っているものがあります。
その一つが「頭髪・服装検査」。
普段は制服を着崩したりしている子も、この日だけは模範生かのごとくピシッと着用。
髪が明るい子は一時的に髪黒くできるスプレーをかけたり、ピアスの穴はシミ隠しのコンシーラーで埋めたり。
みんな生徒指導の先生から逃れるためにいろんな方法で抵抗していました。
そして、この時間が終わった瞬間、開放されたかのようにみんな元に戻るという。笑
まあ、先生たちも気付いてはいるけどきりがないから見逃してたんだろうなとは思いますが。
果たして、このいたちごっこ状態の検査に意味があったのか否か……。
文部科学省によると、校則とは「児童生徒が健全な学校生活を営み、より良く成長・発達していくため、各学校の責任と判断の下にそれぞれ定められる一定の決まり」とされています。
もちろん、学校は学業だけでなく人間関係を築く場でもあるため、集団の秩序や平等を守るためにある程度のルールは必要だと思います。
しかし、一方で「これってどうなの?」と疑問に感じるルールも存在したのは確かです。
例えば、頭髪で引っかかった子の中には、純粋に「元々地毛が茶色い子」や「部活動時の日焼けで茶色くなった子」もいました。
そういった理由のある子に対して、〇〇年前の私の高校では幸いお咎めはなかったのですが、中には黒髪を強要する学校も未だにあるようで、近年問題視されております。
令和の「個性を尊重しましょう」という風潮の中、昭和へ逆行している感じがしますね……。
その考えられる要因の一つとして、遡ること1955年~1970年前半頃の高度経済成長期。
大量生産が求められたこの時代には、「個性」よりも「規律」が重視されていたようです。
今まで以上に他の人と調和が取れることが求められていた時代の名残が、そのまま放置されているのかもしれません。
とは言いつつも、個性の尊重が大切だからといって野放してはいけないのも事実です。
「これって何のためにあるの?」という疑問をきっかけに、物事を多面的に考えられる人になってほしいなと思います。
そういえば、頭髪・服装検査の日以外でも生徒指導の先生にばったり出くわした時には即反省文コースでした。
果たして、頭ごなしにただ反省文(という名の生徒にとってはただの文字の羅列)を書かせることに意味があるのか。
化粧とスカートの長さで反省文書いてた友人、毎回開き直っていましたよ……。
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