🙁 最近のゲームコントローラはとても複雑で子供に勝てませんよ。
お客様のところに一緒に出かけら途中、車中の雑談で社員が発した言葉です。
僕はほとんどゲームをやりません。せいぜい今から30数年前に流行ったファミコンぐらいでしょうか?
あれからコントローラも進歩して左右の多くの指を駆使するまでに複雑となりました。ところが僕の想像以上にコントローラの操作は複雑なようです。
なんでもコントローラの側面にもボタンがあり、多くの指を駆使してゲームをするのが当たり前だというのです。
その社員は僕よりもふた回り程年下。そんな彼が自分の子供とゲームで対戦しても勝てないというのですから、ファミコン世代の我々は到底太刀打ちできるものではないなと改めて感じました。
eスポーツという言葉を聞きます。
😡 あれをスポーツとは言わんでしょ。
と多くの評論家の声を耳にします。僕自身もそう思っていましたが、先の社員の感想を耳にするとたしかにそういう指先の俊敏な動きが画面の向こうの分身を動かしているのですから、広義な意味でのスポーツはアリかもしれません。
先日塾の関係者の方と話をする機会がありました。その塾では小学校低学年向けにプログラミング教育をしているそうですが、その様子を見ていると我々大人の世代では考えられない奇抜なプログラムを完成していくそうです。
また付き添いの父兄が連れている一歳ぐらいの幼児はタブレットで遊んでいるとか。スマホが登場して10年が経過して子供たちはスマホがあることが当然の中で育っています。これからの時代は我々の考えも及ばない事が出てくるんだろうなと思います。
そしてこれからの才能というのは我々の常識外の尺度にあるのかもしれません。
5年前のマーケティングの本が役に立たないと言われるように、これから5年先も皆目見当がつかない事が出てくるはず。
みらい創造と口では言っていますが、創造そのものが自分たちの常識外にあることを覚悟する時でしょうか?
😉 社長、我々は良い時に60歳を迎えたかもね。
とその塾の理事長。その言葉には
我々の常識を押し付けることだけは避けないとね。
というメッセージを感じています。
老害とは自分が老いたのに気づかず(気をとめず)、まわりの若手の活躍を妨げて生ずる害悪。
まだまだ60歳が老け込む歳ではないですが、少なくとも時代は我々の常識外にあることをだけは自覚しないといけないですね。
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