😕 もう一人の自分が話している自分を見ている気持ちで話さないといけないよな。
この言葉は先日「新・情報7daysニュースキャスター」で発言していた北野武さんの言葉。度々の失言でとうとう更迭されたある大臣の報道についての感想である。
漫才師や落語家といった人たちは自身の話しっぷりを常に第三者として俯瞰することを意識することと教えられたと話をしていた。
先日大きな団体の地区大会があった。次年度の代表の初心演説があった。パワポで要点を表示し、スマホを駆使して画面を手際よく変えながらのメッセージ。今風の発信でスマートだが、近くの席から出た参加者の声は
🙁 喋りすぎ
実は同じことを僕も感じていた。おそらく事前に決めていた原稿があるのだと思う。僕自身も経験があるが作った原稿は全部話さなくてはいけないと思いがちである。
中には決められた時間にもかかわらずその時間にとても話さないような大量のボリュームの資料を作る人もいる。今回がそうだとは言わないが明らかに喋りすぎ感は否めなかった。
伝える場合は、話をする人は何を伝えたいかが明確でないといけない。大切な時間を人から戴いているだけに、その時間は有意義でないといけない。「あっ、こういうことを伝えたいのね」が伝わらないのは大切な時間を盗んだことに他ならない。
➡ 何を伝えたいか?
➡ 話を伝える自分はどんな人か?
➡ 伝えるポイントはなにか?
➡ 何を持ち帰って欲しいか?
➡ この話を聞くことでどんな未来が描けるか。
などが聞き手に伝わらないといけない。僕は以前学校の教壇にいたため、指導案というものがあった。話の流れをシナリオ化し要点をまとめるものだ。
また教員の資質向上のために研究授業というものがあり、先輩先生や指導主事という方に見ていただいき指導を受ける場もあった。
先生でさえそうなのだ。だから多くの人の前で話す機会がない場合は下原稿をしっかりと書き事前に頭に入れることだと思う。
ちなみに僕も、どんな研修や講師でも下原稿と時間経過の予定表をチェックする。原稿を見なくても話せるように努めて臨むことにしている。それでももう一人の自分を見ることは余裕がないとなかなかできない。
自分がどう見えているか? 😉
今週末にお邪魔する社内研修ではそんな風景を描いて話してみようと思う。
🙂 背筋は
😀 視線は
😮 声の大きさは
意外に新鮮かもね。そして現代の時泥棒にならない事。その評価はもちろん会社の社員の人だけどね。
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