昨年大変お世話になった会長が他界された。そのお孫さんがその後社長となり先日お会いする機会があった。率直な感想は
立派になった 😮
である。立派というのは社長らしくなったという外見的なことはもちろんだが、実は大袈裟ではなくオーラを感じたのである。
その会長は生前中、次期社長候補であるお孫さんにトップとしての背中を見せていたそうだ。背中で・・・と書いたのはトップとしての帝王学を具体的にレクチャーされたわけではない。自分の立ち居振る舞いを見せながら「トップというのはこうあるべき」という姿を見せていたようでる。
昭和の経営者
会長を知る同業他社の社長はそう表現している。ただ、昭和だけだったらそれは時代錯誤。そこはトップとしての立ち居振る舞いの吸収だけでなく、若い社長は外見だけでなく時代に必要な知識も吸収しているのだ。
例えば、僕が昨年知った新たな知識を彼は既に知って、実際の経営に生かし社員との距離感を測っていた。会社のビジョンや理念の浸透、将来の設計図の書き出しなども怠っていない。それを支えているのがネットだ。経営指南のサイトを使って日々勉強し吸収しているのである。
30年前の僕は教職から転職し、中小企業大学校に毎月のように学びに出かけた。以来数多く学びの場を求めて多くの研修やセミナーを受けてきた。しかし、今はパソコンを開けば、学ぶ情報が、それも最新のものが目の前にある。サイトは10分程度とコンパクト。長すぎず飽きのこない上手い尺というのもネットらしい。
もちろんネットで学ぶことが全てよしというつもりはない。場の空気を感じながら学ぶことは他流試合と称して必要なことと思う。ただ、学ぶ場と時間が手軽に作ることができ、その気になれば貪欲に吸収できる環境が今はあるということだ。
因みに彼は社長室にあえてこもりっきり。ほとんど事務所にも現場にもいかない。今は自身のベースを磨く時であり、番頭さん以下、任せられる社員の人がいるからというのがその理由。その任せ方も帝王学であり勇気がいる。それだけに帝王学を受けた若い経営者は只者ではない。
今は業界として景気が良いからできるかもしれない 😕
と彼。しかしそこに甘えず次の布石を考えるあたりが只者ではない。20代の若さだからこそ怖さを恐れない彼のこれから先が楽しみだ。そしてこれも一つの事業継承の形なんだと思う。いつの間にか、しがらみにまみれた僕にとってかえって新鮮だった時間である。
対して僕の今までを振り返ると先代と同じ道を歩んでいる感じだ。自分で言うのもおかしいが不器用そのもの。マッ、これも良しとしよう。平成は終わったのだから。新たな時代の経営者像は次の世代が考えることだ。ただ学び続ける姿勢は時代がはやいいまだから必須だ。
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