➡ 被災した職員が職場に参集したのは当日で40%、一週間で70%
➡ 携帯電話の充電が十分でも基地局のバッテリーは6時間。仮に復旧しても通信規制となり、数時間で通信機能を失う。
➡ 避難所というが、実態は収容避難所。住民が殺到して人が溢れる。
➡ 人は揺れだけでは死なない。建物な丈夫なら問題は家具の転倒。
➡ 被災地ではコンビニやスーパーは無力。支援ステーションにはなりえない。
➡ 歴史を紐解くと南海トラフ地震前の50年、後10年で直下型が集中。つまり阪神淡路大震災が1995年だから50年を加えると・・・
これは先週中部経済同友会の企業の防災力向上委員会主催の講演会での一部だ。
そして、襲撃的なのは「どのくらいの大きさの地震が来るのか?」の質問にに対して
😐 来てみないと分かりません。
今日は3.11。8年前の午後2時46分僕は営業先から会社に向かって車を走らせ、ちょうど信号待ちをしていた時間だった。ふんわりと車が左右に揺れて、一瞬大きな風が吹いたのだと思った。
🙁 今日はそんな風が吹く日ではないはずだけどなぁ
と思った瞬間、車内のテレビから
😡 すぐに避難してください。
どのチャンネルからも絶叫に似たアナウンスが。
テレビの向こうには川をまたぐ大きな橋を渡るトラックや車の映像が静かに流れている。津波が来る前の状況だった。目に入る光景が「静かに」・・・この感覚だけは今でも覚えている。
震災から2年後、会社の社員旅行で震災の地を回った。草も生えていない何もない一面の野原にポツンと立つ一軒家。「日本の法律では持ち主の承諾がない限りは勝手に壊せない」とガイドさん。打ち上げられた大きな船を見ながら、そこだけ時間が止まっているように感じたのを覚えている。
あれから8年が経過した。ご存知の通り昨今日本が騒がしい。北から南から地震情報がたくさん流れてくる。東海地方の周りは多くの地震が発生しながら、一番心配なこの地方はなぜか起きていない。
備えあればというけど、一番怖いのは震災直後にあった災害に対する強い備えの気持ちが年々薄れていくことだ。
マルワは事業継続計画(BCP)を作っている。中小企業ではかなり珍しいと評価をいただいている。しかし先の講師の方は
大切なのはBCPではなくBCM(マネジメント)
だと。この言葉は耳が痛かった。作っても意識がなければ絵に描いた餅だから。
➡ 社員とその家族を守る立場として
➡ お客様の大切な資産を預かる身として
➡ 事業を継続できる責任者として
もう一度しっかりと自社の防災対策に向き合いたい。「いくら計画を立てても来るときは被災する」という声がある。しかしそれは経営者として責務の放棄だ。
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