だんだんとものは小さくなってくる
今から30年ほど前、教職にいた頃の学校での係は視聴覚主任。学校で使うビデオやオーディオ、そして学校内の放送関係の管理や新たな機器の導入と整備の責任が自分の仕事だった。
場合によっては教室のスピーカーのスイッチを修理したり、壊れたラジカセもゴゾゴゾ触って復活させたり。アマチュア無線をやっていたこともあり、テスター片手に細かな修理屋みたいな事をしていた。
電気というと何か難しいイメージがあったけど回路というのは道筋みたいなもので一度その規則性みたいなものを掴んでしまうと案外簡単なものだった。
だった・・・
過去形の表現である。今はトランジスタやコンデンサーと呼ばれるものが一つのICに収められてしまい、ブラックボックスだ。
車のボンネットを開ければ、当時は地面が見えた。でも今は指先さえ通らないほど隙間一つない。ブラックボックスとはよく言ったもので、外からは何もわからない状態になっている。
■同様のことが、コミュニケーションにも現れているのではないだろうか?
メールやラインという便利と言われるコミュニケーションツールができたにも関わらず、個と個の意思の疎通は親密になったとしても、外から見ると全く分からない状態になっているように思う。
ラインでグループを作っていたのに外されてしまう陰湿ないじめの温床にもなっているのも頷ける。
以前に比べて情報が多く飛び交い、格段に情報量が増えたにも関わらず、一方でその情報が個に依存している状況はなんとも皮肉なものだ。
小さな会社の社長の仕事はこうした情報のやり取りのブラックボックス化を避けることに他ならない。
全てのことに首を突っ込む必要はないものの、自分が思っている以上に情報は自分に入っていないということだ。
勿論、全てを知る必要はないし、知るなんて無理なわけで。だから自分が思っている以上に会社の出来事で知らないことが多いことを知っておくべきだ。
そう思うことで、自身が謙虚になれる。そしてブラックボックスは何も社員だけではない。自分自身もブラックボックスではいけないよということだ。
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