先週末は30年前の教え子たちに還暦を祝ってもらった。卒業して30年かぁ。彼らも自身の子供たちがちょうど中学生ぐらい。時の経過は早いぁと思いつつ、こうしてお祝いしてくれる彼らに感謝しながら自分は幸せ者だって思っていた。
中学生に授業をする機会をこのところ三年ほど頂いている。教職を退いて29年、元々教職を続けたかった自分なので原点に戻ったわけだ。自分に課せられるお題は
➡ 働くとは
➡ 社会とは
➡ いまだからやっておくべきこと
など。昨今は職場体験やインターンシップなど、社会との接点を求められるカリキュラムが組まれていることもあり、彼らにとって働くというキーワードは早くから意識することとなる。なんとも世知辛いなと思う。
さて、そんな彼らに働く意義を話すのだが、実は必ず最後に伝えることがある。それは
😉 今を一生懸命に馬鹿になって生活してほしい
ということ。
自分のことではあるが、僕の中学時代は正直良い思い出がない。教職についてあらためて感じたことだが、先生にとって実に嫌な生徒だったと思う。行事に対して消極的で、どこか学校生活をハスに見ているところがあった。要は可愛げのない素直じゃない生徒 🙁 だった。
だから社会人となって昔の同級生と会うことがなかなかない。仮に会っても自分だけ外れている感がある。それは集団の輪に入らず、外から冷めた目で見ていたからだと思う。
熱血先生 🙂
自分で言うのも変だが教職の時はそう言われていた。
■なぜ熱いのか
それは「自分の過ごしてきた生活を送らせてはいけない」と思ったからだ。だから自身が中学時代にはあれほど熱くなれなかった「体育大会や合唱コンクール」などに熱くなって生徒を鼓舞させた。
そんな事もあり最近生徒さんに話をする機会をいただき、必ずその話をする。
🙂 損得抜きで熱くなれるのは今しかない。
😛 みんなで作り上げていくのはここしかない。
😀 そうした経験が後々大きな自信になり財産になる。
意外にそのメッセージが好評のようだ。そんな話をしていると生徒さんの表情がみるみる間に変わってくるのがわかる。彼らは本当に素直だなと、そのリアクションにかえって学ばせてもらうことがある。
ちなみに、今のマルワはそんな会社づくりを目指している。自分の人生の課題であり、後悔してきたこと、やり残したことを今やっている。と・・・言いながらその当人である自分が冷めないように自身で鼓舞させているところがあるんだけど。
だからこそ、いつも社員の表情を見ながら、彼らと熱くなれるように自分を奮い立たせている。小さな企業にとって大切なのは、先頭に立って突っ走ること。決して年齢だからと自身の手綱を緩めることはない。それは結果、会社の原動力になるからだ。
中学生に話をしながら、彼らからあらためて大切なことを思い出させてもらっている。
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