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楽しむという表現を考えてみた

仕事観

楽しんで仕事をする

最近この言葉をよく目にするし、本来はそういうものだとも思う。でも、どこかで違和感があるのも事実だ。何故だろうか。それは楽しいを仕事というのにどこか無理を感じているからではないか。

先日の委員会発表会では多くの方から、

 ➡ 主体的ですね

 ➡ 楽しそうに仕事していますね

学生さんからは

 ➡ 仕事って大変というイメ^時ですたが、楽しんで仕事ができるのだと思いました。

そんな感想をいただいた。

ふと、そんな評価を聞きながら思ったのは、楽しいという感情はひょっとしたら他人から見えている事を指すのかもしれないと。これには賛否両論あるかと思うけど、「楽しい」という感情は長く続くものではない。それはほんの一瞬。楽しさに慣れてしまうとそれは当たり前になってしまうのが人の気持ちではないかと思うからだ。

■主体的に動くから

よく「主体性」という言葉を耳にする。自身で考えて課題を持って動くというこの言葉。自分で考えて動いている様子は、他人から見ていて前向きで歯切れ良く、気持ちよく感じるから、当然他人にとっては楽しそうに映るのではないかと思う。つまりその様子を他者から評価されるから「楽しく感じる」という構図ではないかと思う。

もちろん「楽しむ」という気持ちを自ら持つことでモチベーションを上げていくことに異論はない。そう思っているうちに無心になっていくことはどんな時でもあるからだ。だから楽しそうに見えているときは当の本人は気が付かないのかもしれない。フローという言葉はこのことを指すのだと思う。

楽しく働ける環境作りが会社に課せられるミッションと言われる。しかし「楽しむ」という感覚は実は人それぞれ。つまり外的要因には限界がある。やはり「楽しむ」という境地を作り出すの自身なのだと感じている。

だから会社に来社いただき社員を直接見ていただくことはとても大切だと思っている。外部の人からいただく声に人は元気づけられるからだ。会社見学、委員会発表、今後とも多くの方に直接見ていただこうと思う。もちろん辛口コメントもいただく意味で。


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