😉 あなたがここまでやると思わなかったわぁ。
先日旅行先で発した母親の一言。ここまでやると言うのは、会社経営のことだ。
😯 オイオイって。
今だから言えるらしい。とても経営をして行くのは無理じゃないかと。親から見れば当時の僕はひ弱だったし、ダメ元の気持ちだったようだ 😥
目立つことが嫌いで、どちらかというといじめられやすいタイプ。そして泣き虫。少なくともリーダーシップとは程遠かった。
僕の通っていた小学校は名古屋でも当時から文教地区。会社経営者や大手企業の役員のご子息がたくさん通っていた。誤解のないようにあっておくが、たまたま学区がそこにあっただけで、どちらかと言うと実家は下町だった隣町の小学校に近かった。
先のご子息たちがその後どうなっているかは僕には分からないが、意外に後を継いでない人も多いと言う。中には会社に入ったものの、会社が立派過ぎ、あまりに当人が頼りないので追い出されてしまったとか。それだけおぼっちゃま君が多かったかもしれない。
おそらく小学校時代・・・やせてひ弱でした
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さて、今更だけどこの頼りない僕がなんとかやってこれたのは、創業者の後ろ姿を見てきたからだと思う。夜遅くまで仕事をして、休日も出勤。そして質素な生活。
😥 経営者というのは甘いもんじゃない
という事を背中でみせていた昭和一桁の軍人だった。
継ぎたくなくて教職に進んだのは、そんな大変なことは僕にはできないと思ったのが理由。結局継ぐ事になったが、好きな仕事を辞めてまで戻るので、失敗できない意地みたいなものもあったかも。
■今の時代、先代のような姿を見せて事業継承ができるか
僕は無理だと思う。高度成長時の当時とは違い、仕事をすれば稼げる時代じゃない。動けば稼げる時代なら少しぐらい嫌いでも我慢できるが、今の時代はその仕事が好きでないとお客様に支持されない時代だからだ。
だから、これから事業継承を考えて行くのに欠かせないのは、その仕事の楽しさや面白さ、そして大変だけど経営が面白い事を伝えた方が良いと思う。何せ
好きを仕事にする時代
がキーワードだから。
ところで、先代は「無理やり引き込んでしまった」と母親によく言っていたそうだ。きっと、先代も「向いていない」と思っていたんだろうね。何が基準での「ここまでやる」か分からないけど、たしかに僕はいっぱいいっぱいです 🙁
もっと優秀な経営者なら今のマルワをもっと大きくしているかもしれないと思っている。でも僕ができる経営はこのスタイルなんで。僕にとっての「ここまで」は「ここまでが精一杯」のここまで。
コメント
鳥原さん、久しぶり。時々ブログ拝見してますよ。毎日朝早くからの随想録、頭が下がります!自分でちゃんと、ここまでと、言えることが素晴らしい。親は偉大だね。ご子息も戻ってきたようで、もう少し頑張らないかんね。
村瀬さん、ご無沙汰です。ブログを読んでいただいてありがとうございます。事業継承がこれから大切な役目です。ホント、もうひと山頑張ります。