昨日のブログで自分らしさの原点について書いてみた。今日はその話題の続きを…。
年に一度、こうしてかつての教え子たちと飲む機会をもらっている。教職生活はわずか8年。そのうち彼らと関わったのは3年しか過ぎない。
今年もこれだけの教え子たちが集合してくれました
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今の学校教育に対する多くの批判記事を読む限り、決して僕は今ではいい先生ではなかったと思っている。なにせ20代後半だったからかなりの若造。血気盛んで、平気で手を出して。それでもそれを肯定していい思い出としてくれる彼らにとっては、やっぱり先生なわけだ。
手前味噌かもしれないけど、記憶に残った先生だったと思っている。その理由は、
😥 おそらく自分が長く先生をやらないだろう
という思い。そして、どうせ先々やらないから、出世を目指す必要もなかったから
😉 上を見ず、現場主義だった
からだと思う。
好きな仕事、語弊があるが「遊びのような仕事」をしていたから純粋だったと思う。その思いが通じていたんだと、勝手に解釈している。
さて、先日全社会議で社員に伝えた事がある。
🙂 役に立っていると実感している仕事をしてほしい
😛 あなたと仕事をしたいと思ってくれる仕事をしてほしい
😀 心から仕事を好きだと思ってやってほしい
と。
先週土曜日の相変わらずの会議風景
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おそらくそういう気持ちを持って仕事をしていたら、仕事が嫌いになることはないと思う。もっといえば、その思いは相手に伝わり、豊かな日々が送れると思う。だから、そんな気持ちをもって仕事をしてほしいと。
考えてみれば僕は幸せ者だと思う。好きな仕事をして、今でもこれだけかつての生徒と関係性を持っている事ができて。
結果としてわずか8年でも、好きなことをさせてくれる環境に置いてくれた親に感謝だなと。
このお返しを社員にしなくてはと思っている。それは
やりがいと充実した環境づくりの場の提供
だと。ちなみに教え子たちも40代半ば働き盛り。どうりで年をとるわけだ 🙁
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