イプシロンが打ち上げられませんでした。ここであえて失敗という言葉を使わないのは、これも一つの制作過程だと私なりに思うからです。
多くの見学者が詰めかけ、日本全国では画面の向こうで子供たちがその瞬間を待っていただけに、「拍子抜け」してしまった表情が印象的でした。そこには「間違いなく」打ち上げするという確信が誰にもあったのだと思います。
間違いなく成功すると誰もが信じていた今回の打ち上げ、しかしあらためて「間違いなく」という事はないのだと、あの先進技術を集めたロケットでさえこうなるのですから…。
ある新聞に書かれていましたが、意外にロケットの中はシンプルな操作パネルだと言います。コンピュータがいくら発達しても、核となる部分は機械的なものだと言います。今回の件は、コンピュータに送る信号異常とも言われていますが、どちらにしても目に見えないものが原因となると厄介だなと感じます。
当社で使用している印刷機も核となる部分はアナログです。コンピュータが集積していても結局はアナログの機械的な部分はいつまでも残っていくのだと感じています。
誰もが信じて疑わなかった今回の打ち上げ、「失敗するはずはない」という事はかえってないのだと・・・。これは日々の私たちの仕事にも同じことがいえます。「ありえないクレーム」が発生した時、振り返ってみると「絶対に間違いはない」と最初から思っていることがあるのではないでしょうか。
しかし現実に発生するという事は、絶対…はないのだと思います。「絶対にない」その言葉の裏には、どこかで「依存した気持ち」があるのではないかなと。結局クレームというのはこうした「心の隙間」で発生するものだと思います。
という事で、こじつけですが、今回のイプシロンはクレームではないなと。まだ開発途中ですから、これも研究の一環と私はそう思っています。それこそ電気的信号が原因なんて言われたら、何も言えないじゃないですか。
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