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我々の権利

衆議院選挙も終盤戦、街角で候補者がマイク片手に必死に訴えている様子をよく見かけます。先日あるお客さんが「相手の批判ばかりで政策を全く語っていない選挙演説にがっかりした」と言っていました。その感想、実は新聞記事でも見かけた内容です。
今回の選挙戦は、お互いの中傷合戦が目立つと言われています。新党が乱立した今回の選挙、決定的な政策の違いを見つけにくく、また肝心な部分を明確にしづらい事情もあり、ついつい相手の揚げ足を取っている…なんて論調さえあります。
いまさらですが、我々が商品を買う時に競合他社の商品を批判し、やみくもに自社製品を勧められるよりも、その商品の魅力、また購入後のメリット、メーカーとしての信頼性を打ち出して説明したほうが消費者心理をそそるのではと感じます。
「そんなことはわかっている…」おそらく当事者の人たちから一喝されそうです。確かに前回の選挙では耳聞こえの良い主張に多くの有権者がなびいてしまった苦い経験があるだけに、立候補者もその路線を打ち出しにくい事はわかります。
とはいえ本当に国の事を考えた場合、そうした中傷合戦が国民の共感を果たして呼ぶでしょうか。それよりも政党間で認め合うことも実は聞く側にとっては大切なのではと感じています。
それでも投票は行かなくてはなりません。私の友人社長は社員に絶対に行くように指示をしたそうです。その背景には20年ほど前の風の選挙、今でいう第三極に国民がなびきその結果が今の混乱であるという我々世代の反省があるからです。
私も朝礼で同じことを社員に言いました。この投票が20年後に影響していくと、それは自分たちの次世代、つまり子供たちに影響すると…。世界を見渡せばその投票さえできない国がたくさんあるのですから、この権利は行使しないといけません。
「入れるところがない」という声に対し、ある新聞は「投票したくない」を基準に考えるといいといいます。いずれにせよ、将来を決める大切な選挙、政治がどうこうと批判する前にまずは我々自身がしっかりとその意思を表示することだと感じています。


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