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父親のことをあらためて思い出して

おはようございます。印刷業界にどっぷりとつかりながら次なる一手を真剣に考えている名古屋の鳥原です。今日は先代の事について書いてみます。先代、つまり父親の事です。

父親はそろばんの世界ではちょっとした有名人でした。三年連続の暗算日本一。なにせ11ケタの暗算が出来たんです!! 晩年認知症を患っても計算だけは医者が驚くほどの達人だったそうです。

私もそろばんの選手でした。6桁ぐらいの足し引きや3桁✖3桁の掛け算も暗算でできましたし、小学生の時は名古屋で優勝していました(^^)v それでも決して父親から褒められることはありませんでした。プロ野球選手の子供のプレッシャーがわかるなって。

■昔は必ず正月に家族で写真を撮るのが行事でした。見るからに厳格そうでしょ。

■昔は必ず正月に家族で写真を撮るのが行事でした。見るからに厳格そうでしょ。

旧制中学では成績がトップで級長も務めていた父。そんなわけで子供の頃は思い返すと今で言う「教育パパ」だったと母親がよく言います。成績にとってもうるさく、通知表を見せるとたいしたことがないのでよく叱られたことを覚えています。

わたしや妹には厳しい父親の側面しか見せませんでした。決して手の届かない、偉大なというよりもかなわない父親でした。ところがあくまでそれは家庭内の父親の姿。実は一歩外へ出るとその姿は真逆だったようです。

先日日本珠算連盟名古屋支部の70周年がありました。父親の代から長く印刷物の仕事をさせていただいていますので、私も来賓として招待をいただきました。もちろん顔見知りの人は皆無です。

■先日の日本珠算連盟70周年の記念品。早速仏壇に報告です。

■先日の日本珠算連盟70周年の記念品。早速仏壇に報告です。

ところがパーティーが始まると多くの人がわたしのところにきて

「鳥原さんにはお世話になった」と。そして

「珠算を支えたのは純ちゃん(わたしの父親の愛称)だからな」って。

「穏やかで面倒見がよくって、できないことを決して叱らなくって気長にいつも見守っていましたよ」って。

いやいやどうしたんでしょうか。

外面は良いと聞いていましたがここまでですか…って、思わず苦笑した私です。

結局父親の跡を継ぐことになりましたが、口出しを決してしない代わりに褒めることもしなかった父。ただ母親には「無理やり引きずりこんだから苦労させないだけの経営にはしなくては」と言っていたそうです。

最後まであまり面と向かって話をしなかったような気がします。唯一経営理念を作るときに父親から会社設立からの歴史を聞くときだけだったかなぁ。その時は嬉しそうでした。ホント…。

混沌とした時代、父親なら今のこのご時世どうやってかじ取りをするかなって。ふと思った次第です。

■晩年の父。丸くなったとはいえ…厳格でした(苦笑)

■晩年の父。丸くなったとはいえ…厳格でした(苦笑)


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