東日本大震災から今度の日曜日で1年が経ちます。節目の年という事もあり、当時の映像がテレビを通じて流されることが多くなりました。以前と違うのはリアルにこうした映像が記録として残ること。
実際の映像を見ていると間近で津波が迫っていながら、迫っている危機感を感じている人が思いのほか少ないことに気が付きます。すぐそこに津波が来ていてもたまたま見えないという事で、逃げ出す素振りもない人。今となってはこの光景がつらく悲しいものになってしまいます。
昨日の日経に「津波直前まで恋人とメール」という記事が載っていました。南三陸町の防災対策庁舎で亡くなった三浦亜里沙さんが流される直前まで交際している男性に「死なない!!愛している!!」というメールを送っていたとか。やり取りのメールは5通。お互いの安否の情報を気遣い励まし続けていたそうです。
男性が「ぜってー死ぬなよ」と送信、女性が「無事でよかった」続けて「大津波が来た」と送るやり取りがされたそうです。結局三浦さんは帰らぬ人となり、今年の1月に遺体が見つかりました。
今までこうした災害の記録、そして思い出は写真、そして遺品となる手紙、最近までビデオでしたが、こうしたメールも大切なそしてつらい思い出として残っていくのはやはり時代でしょうか。
一人一人のドラマがあったこの災害、あれからまもなく一年。つらい現実に真正面から向き合っている被災地の人々に比べたらなんと幸せなのかと。あらためて「生かされている」事を実感します。
今週はNHKが震災関連の報道を続けています。大変申し訳ない事ですが、被災地から遠い我々にとってはやはり時間の経過とともに風化してしまう現実があります。こうした発信を受け止める事で当時の記憶を呼び起こす役割が報道にはあり、あらためて報道の使命を感じた次第です。
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