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当たり前に節目を迎える幸せ

名古屋市内の小学校は今日が卒業式。華やかな服装の卒業生が新たな旅立ちをします。私も教師として二回小学校六年生を卒業させました。もう30年近く前の事ですので、そんな彼らもいまは40代、社会を支える年代です。
卒業式も以前とは違い随分変わったなと感じます。当時は「呼びかけ」といって選ばれた生徒の声の発信で全員が答えるという形でした。おそらくこの「呼びかけ」が長く続いたと思っています。
一昨年まである小学校の「学校評議委員」として卒業式に来賓として出席していましたが、驚いたのは卒業式の座席配置。舞台に向かって整然といすが並ぶのでなく、真ん中に校長先生が経ち、対角線に沿って子供が進み卒業証書をもらう…そんな風景です。
呼びかけは相変わらずですが、自分の将来を大きな声で発表する…そうした演出です。確かに少子化ですので、以前のように子供の数が多くなく、個人にスポットを与えていく時間にゆとりができたのだと感じています。
親にとっては大切な子ども。たとえわずかな時間でも自分の子供にスポットが当たるのはうれしい事。卒業式はセレモニーですが、型にとらわれなくなってきたのも時代でしょうか。
自分の人生を振り返っても小学校時代が最も長く感じました。そして親としても子供が小学校の時が最も手をかけた時間だと思います。卒業式は、子どもだけでなく親自身にとっても感慨深い時だと感じます。
被災地ではばらばらになってしまった卒業生が集まって村主催で合同の卒業式をした村もあります。特別な演出はありませんが、久々に再会し卒業式に加えての再会の感激が…と聞くと何とも複雑な思いがします。未来ある子供たちにこんなに大きな心的負担をかけていると思うとやり切れません。
被災地を思うと当たり前のように節目を迎えることができる幸せをあらためて感じます。天気も上々、多くの場所で親子ともども多くの笑顔が溢れる一日ですね。


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