東邦高校といえば全国的に知られているのは高校野球としての名門。
一方、俳優の奥田瑛二さんや最近では山田裕貴も卒業生として有名です。
実はここに辰巳会という会があります。
昭和3年生まれの東邦商業の卒業生が中心となって出来上がった会です。
父親もこの会のメンバの一人。
父親が使っていた会社のロッカーには
辰巳会関係の名簿や機関誌などがありました。
健在であれば今年96歳。しかし父親は16年ほど前に他界をしました。
そんな折に同級生がまだ健在と知ったのは
終戦の日の昨年8月16日の地元の新聞の終戦特集
よく父親が言葉にしていた同級生の名前を目にしたことです。
生前の父親からその名前を聞いたこともあり
思い切って連絡をしたところやはり父親の同級生でした。
学徒動員で三菱航空の工場に駆り出されていた当時の同級生の多くは
この空襲で命を落としています。
先日お邪魔したところ驚くほどお元気 😯
同級生はみんないなくなっちゃったかなあ?
と時折寂しい表情も。
新聞の取材は当時を高校生だった方からの証言として
東邦学園からの紹介で取材があったそうです。
当時、教師は
➡ 学校から軍への入隊希望の調査があっても慌てるな
➡ 実際に軍に関わっている叔父の方からも
軍関係の人が入隊希望調査で訪れた際に
印鑑も隠して本人も不在にするように
➡ 戦争がはじまり半年たたない間に
米軍の爆弾が一発名古屋市内に落とされてとか
一億総動員と言いながら現実には戦争の現実を知っていたようです。
そういえば昭和天皇の玉音放送をひれ伏して聞く姿の動画
この真偽は定かでないと聞いたことがあります。
戦争の悲惨さを伝えるインタビューを色々と報道されています。
しかし現実は
誰も戦争に勝てるとは思ってなく
多くの国民が戦争について冷めた気持ちがあった
と率直な感想をお聞きしました。
先の三菱工場で亡くなった友人たち
一週間前に勤務が昼夜交代したから。
交代がなかったら自分が死んでいたと… 😥
生死を分ける生々しいお話まで聞くことができました。
新聞をきっかけに父親の友人とお会いできました。
早速仏壇に手を合わせて父に報告。
ネットニュースはタイトル文字だけが流れます。
紙媒体の衰退が叫ばれていますが、
紙媒体はタイトルと共に写真が目に入ります。
ネットニュースであったらこういった出会いはありません。
思わぬ情報源としての紙の役割
紙に携わる者として、大切に伝え発信したいと思います。
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