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当時の評価は後々わかる。だから今を真摯に一生懸命生きる

日 記

昨晩は40年ほど前に同じ釜の飯を食べた仲間との会食。

年齢は同世代の64歳から66歳。

 

定年を迎え新たな職場で頑張っています。

 

➡ 退職後もいまだに担任を持っている者

送り出した生徒は1000人を超えるそうです。

明日は野球部の試合とか…

まだ野球やっていました 🙂

 

➡ ラグビースクールで指導を続け

高校で体育の教員として現場で汗を流している者

 

➡ 教職員の互助会に事務局入りして、

バックヤードとしてオフィスの仕事をしている者

 

それぞれまだ形は違えども現役です。

 

40年前といえば、スクールウォーズ全盛期。

全国的に学校現場が荒れた時代です。

 

御多分に洩れず我々の赴任先の中学校もその一つ。

 

ある意味で市内で有名校でしたから。

 

身体を張っていた 😕 

大袈裟かもしれませんが、当時はほんとそんな気持ちでした。

 

パワハラなんて言葉はなく、体罰で報道されることもない時代

 

これが決していいとはもちろん思わないですが、

生徒と教員の距離が近い時代でした。

 

当時の教え子たちもアラフィフ

 

自身は転勤でこの職場に仲間入り

 

一方彼らは私の赴任前から

同学年で汗をかいていた者同士 😉

 

今年も年末に三人が共通の学年の

生徒たちとの会食があるそうです。

 

いまだに縁がある…

 

結局その当時に生徒にいかに向き合っていたか

その評価は後々だなと。

 

それでも人と人との触れ合い。

我々なような生徒指導に関わる者には、

多かれ少なかれ、生徒にとっては評価は分かれます。

 

どちらかというと当時手を焼いた生徒との交流が多いのは事実。

 

一方で真面目な生徒にとっては、

問題生徒と先生とのやりとりを快く思わない

そんな生徒もいたはずです。

 

自分にとっても振り返って

全ての生徒にとっていい先生であったとは思ってはいません。

 

今ならあの時のことで頭を下げたい・・・ともう場面さえあります。

なにせ当時は20代。若造でしたから。

 

とはいえ、当時は夜遅くまで職員室でいた仲間。

もちろん今の働き方改革ならアウト 🙁

 

でも置かれた立場はそれぞれ違うものの

同じ釜の飯を食った仲間。

 

だから半世紀近く経過して会食ができるのです。

 

定期的にこうして会うようになりました。

これもまた幸せなことだと。

 

形はどうあれ

当時の評価は後々わかる

だから今を真摯に一生懸命生きる

 

あらためて感じた時間でした。

次回は春、楽しみです。


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