一生懸命に追っ駆けていても長い時間が経過してもう見つからないだろう・・・それが突然目の前に現れたとしたら。オウム真理教の平田信容疑者の年末の出頭の経過を聞くとまさに「まさか」の言葉がよく当てはまります。
識者が語っていましたが、いかに長い間捜査が続いていたとしても、また多くの指名手配の写真やポスターを目にしても当事者でないと結局ピンとこない・・・という事だそうです。
お粗末と言われればそれまでですが、おそらく警察にはそのようないたずらが多いのだと思います。公開された平田容疑者の顔は、ポスターの写真の人物だ!!!と言われればわかるかも…というぐらいやはり微妙でした。
と…同情的な事を書きましたが、それでもプロであるからこうしたミスは認められないという事は当然のこと。ましてや追い返してしまうともなると、それはそれで大きな問題です。
何気なくこうしたポスターを見ていると結局「見慣れてしまい」ついつい景色の一部として映ってしまう、時がたつというのはそんな事なのだと感じました。こうした注意喚起を持続することは難しいなと感じます。
情報は当たり前のようになってくると、情報と感じないことを今回知りました。そういえば平田容疑者の指名手配のポスターで年齢が経過していた予想のイラストを目にしたことがありますが、これも目先を変える一つの注意喚起だったと思います。
こうした事は日常の業務でよくありがちだと思いませんか。「思い込み」ってやつです。あるわけがない、あるはずだ…等々こうした思い込みで大きなクレームを起こしてしまう事は日々の仕事でも経験があります。
今回の一件、安全を守るという点で、再度の注意喚起が必須ですが、あらためて発信することのむずかしさを実感しています。情報というのはやはり旬があるのだと。
発信し続け、注意を喚起する事をどう行っていくか。我々情報発信に携わるものとしてあらためて心にとめていかないといけない大切な課題だと感じます。
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