おはようございます。「印刷の明るい未来を」をいつも考えている鳥原です。今日は主体性について自身の考えを述べてみたいと思っています。特に主体性と自由を履き違える怖さについてです。
当社の会社見学をされるお客様から「主体性のある社員さんですね」と誉めてもらうことが多くあります。その言葉は率直に嬉しいですし、自らの意思で行動しているように相手に伝わるのはとても大切な事だと思います。
その要因のひとつは委員会活動。当社では委員会活動を実施し、なるべく社員が自ら考えたことを実践するように心がけています。だから委員会自身が考えた事ですので社員の協力もより得やすいと思うのです。
□ところで「主体的」と「自由」は違う
ここでいつも注意をしていることがあります。それは「主体性と自由は違う」ということ。自分達が考えたことだから会社は全てフリーで自由に実行にさせている訳ではありません。当然ですが、会社のめざす方向と合っているかがポイントです。
自主性だからと社員の人たちが「自分達の思い通り、考えたとおりにできる」と好きな通りにやっていたとしたらどうなるか。それは言うまでもなく安易な方向に行ってしまうのではないでしょうか。特に「好き」は人それぞれ、目先の好きは迎合してしまうもの。
誰だってあえて自ら負荷をかけ厳しく律していくことはそうそう出来る訳ではありません。経営を預かる身の我々とは社員とはどうしてもそこに思考の差が出てしまうものです。面倒だけどやらなくちゃいけないことってありますので。
□相談をするようにさせています
少しでもジャッジに迷ったら相談を促しています。そして相談によっては「任せた」ときっぱりいうこともあります。一方で「この部分はだめだ」と伝えることもあります。その繰り返しを通して会社の指針を明確にしていくのです。
時間がかかりますし、これまた当社も発展途上です。だって会社の方針は明文化していてもそれを照らし合わせる事例は多種多様だからです。自分たちで考えていく過程を数多く作ることで目指す方向にベクトルがあったジャッジになっていくと思うのです。
□まだまだ道半ば
確かに当社の社員は主体的に動いている部分が多いと思います。しかしまだ完璧なものではありません。ゴールはずっと先にあります。人にとって怖いのは「おごり、満身、過信」。経営者ならば尚更ですよね。
試行錯誤を繰り返し常に「自問自答」です。「果たしてこれでいいのかな」って。
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