「ほどほど」という叡智
この見出しは元旦の中日新聞の社説です。
SDGsという言葉が最近は猫も杓子もよく目にするようになった
そんな内容での書き出し。
社説途中でのタイトルは
多過ぎても少な過ぎても
という言葉。
温室効果ガスを減らすために
世界中が四苦八苦しているものの
あんまり少な過ぎても塩梅(あんばい)が悪い…
温室効果ガスがなかったら
太陽光のもたらす熱を封じ込めないので
地球の平均気温は−19°下がってしまう。
いい塩梅でうまくさじ加減をしていくことで自然も応えるのでは
そんな内容です。
さて、僕も例えはともかく同じことを昨年感じていました。
降って沸いたようなSDGsというブーム
その中で気になることが多々あるのです。
➡ 関わるためには〇〇でないとダメ
➡ これを守るためには〇〇をしてないとダメ
この活動、取り組みが一番SDGsにあっていると言いながら
➡ 理念に合わないから一緒に活動できない
など。
SDGsが本来一番大切にするパートナーシップを蔑ろに
そんな風潮を目にするからです。
多様性という言葉はSDGsにマッチしているもの。
それだけに過度なルールづけや理念の押し付けには正直うんざりしました。
塩梅(あんばい)という言葉は若い人にはあまりピンとこないかもしれません。
バランスと置き換えるとピンとくるのではないでしょうか?
みんな正しいと思って取り組んでいるのですから
そこには理解や活動の幅もあっていいはず。
特にSDGsに関わるのはルールがあるわけでも
手順があるわけでもありません。
気になるのはこの理念が
一つの尺度やブランドとして使われている感があること
➡ もっと気軽でハードルが低く
➡ 関わっていて楽しいものであるべき
そう感じるのです。
今のZ世代はサスティナブルや
エシカルという言葉が生活の中では当たり前だと言います。
ましてや
サスティナブルや権威的なブランドだけが目的ではない
のが彼ら世代。
ほどほどに…
長く日々の活動にSDGsの理念を織り交ぜてきたマルワ
今年は力を抜いて関わりたいと感じています。
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