当たり前にできていたことができなくなっている
そんなことを感じることが多くなりました。
➡ 階段を一気に登ることができたのが途中で一息ついてしまう
➡ 全く段差もないところを歩いていてつまずいてしまう
といった体力面
➡ 打ち合わせをした直後なのに忘れてしまう
➡ しまった場所が分からなくなってしまう
➡ 予定表にありながら間違えてしまう
といった思考面。
さて、当たり前ができなくなってきたことへの対策は…
そんなものはありません 😥
➡ 自分の中でひたすら意識をする
➡ 一つ一つの行動に意識を向ける
それしかないなと。
若い頃は意識しなくてもできていたことが
意識しないとできなくなる 😕
何とも頼りなくなってきました。
特に思考面の当たり前ができなくなったのは
新鮮味を感じなくなってきたからだろうと。
時がはやく感じるのも経験則の積み重ねが要因だと言いますから。
ところが立命館アジア太平洋大学(APU)の出口治明学長は
100歳の寿命を迎えた今、20代で社会に出るとすると
60歳はまだ折り返しだと・・・
確かに自身が就職した20代の頃の60歳って本当に老人にみえました。
実際にその年齢を過ぎた今、自身はまだ若いという自負があります 😉
それだけ日進月歩の目まぐるしい真っ只中に身を置き
新たな体験の連続が要因かもしれません。
先日読んだ本には老化は克服されると書いてありました。
SDGs3すべての人に健康と福祉を
この目的には
あらゆる年齢のすべての人々の健康と福祉を確保する
とあります。
物は考えようで
➡ 若い身体を基準にするのでなく、
➡ 折り返しとなった60歳を基準として考える
と捉えれば、加齢への感情も自身の気持ち次第かも。
と割り切って、早速昨日は途中まで徒歩通勤。通勤用のカバンもこうして調達です。
何ともゲンキンなブログですが
手前みその解釈が許されるのも我々世代ですから…。
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