NHK大河ドラマ「麒麟がくる」が先日終了しました。
コロナ禍ということもあり途中放映が中断したり
直前で配役が代わったり…(そんなことがありました…)
何かと慌ただしい状況ではありましたが
個人的には楽しませていただきました。
歴史というのは勝者側に立って描きますので
どうしても相手側は悪く書かれてしまいがち。
今回の明智光秀はまさに今まで主役とは縁がありませんでした。
そもそもこの人物の出生すらよく分かっていないわけで
先の肖像画も「おそらく・・・」らしいですから。
それを如何に描いていくかは興味がありました。
それだけに彼の心の葛藤の描き方、
光秀の最期の場面のないエンディング
は新鮮でした。
そしてもう一つは染谷翔太演じる織田信長の人物像
古くは高橋英樹、近年では市川海老蔵(当時)など、
存在感の大きい役者が演じてきました。
今回彼の一見感じる線の細さが、時代と共に力強く成長していく様は
新しい形の信長像だったと思います。
信長の最期の涙と表情も新しい描き方では。
誰もが収まりが良い主役だと思う歴史上の人物ではなく
脇役的な人物を本人の視点で取り上げていく
新たな形…。
考えてみれば我々が知っている歴史は
今ではいくつかは解釈が変わっていると聞きます。
例えば
➡ 武士の時代は鎌倉時代の源氏からと習いましたが
今は平家の時代からだと聞きます。
➡ 源頼朝の自画像は今では(伝)となっています。
歴史ドラマも主役、配役も多様化の時代だということ。
大河ドラマは1本あたり製作費6000万とも言われます 😯
それだけの費用だから豪華な配役というお決まりではないのが良いですね。
エンターテイメントというのは
冒険している部分・尖った部分が伝わることが大切
なような気がします。
これは我々経営とて同じ。
➡ 常に新たなトライをして生み出している・・・
➡ 次は何が出るのかというわくわく感・・・
こうした事がお客様や周りから
見えるほど伝わるほど
企業の独自化につながります。
今年に入りやたらSDGsだというようになりました。
でもただバッジをつけてラベリングしているだけなら
面白味を感じません。
○○らしいね…と言われることで初めて記憶に残ります。
今までの常識を少し斜に見てみる・・・
SDGsの会社での関わりのヒントはこんなところにあるのかも…。
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