震災や災害などが発生すると必ず宗教が台頭すると言います。
先が見えない混沌とした時は見えない何かにすがりたいもの。
ただこういう時にすがる宗教には
一方で騙される怪しいものも多いと言います。
心の隙間という表現を使いますが、
信仰は時として見えないだけについついすがり落とし穴に
そんな事になりませんように 😉
さて、昨日は毎年恒例の年の締めくくりとしてお伊勢参りに行ってきました。
今年はなんといってもコロナ禍の一年。
いつもと比較して境内を歩く人の数は例年と比較して少ない気がしました。
来年こそは!
と先に書いたような神に縋りたいのが正直な気持ち
しかし毎年恒例の一年の締めの大切なルーチン。
神頼みなんてケチな気持ちはありません。
実は国連の議事録には石清水八幡宮の宮司の以下のメッセージが載っているそうです。
神道は持続可能な発展を遂げるうえで大事なエッセンスを持つ
自然を神聖なものとして扱う神道
まさにSDGsに求められるものというのです。
特に伊勢神宮の空気感は特別。
内宮の五十鈴川にかかる宇治橋を渡った途端に張り詰めた空気。
長きに渡ってこの空気を守り続けてきたお伊勢さんは
まさに持続可能な姿そのものです。
信仰心が強い先代の影響もあり
毎月の伏見稲荷大社の月参りなど先代から引き継いでいます。
以前は手を合わせてお願い事をしきりに口にしていました。
➡ 〇〇でありますように
➡ 〇〇になりますように
ところが、いつの頃からか感謝を口にするようになりました。
自身を振り返る手を合わす瞬間に
🙂 ありがとうございます。今年もここに来ることができました。
そんなことを思うようになったのはそれだけ歳を重ねたからでしょうか?
感謝の為に訪れるのが信仰だと聞いたこともあります。
今年も毎年ご一緒に参拝するメンバーと来ることができました。
同じメンバーというルーチンにも感謝です。
ただひとつだけ残念だったのは
太閤出世餅が買えなかったこと 😥
営業時間がなんと午後3時まで。
これを買って帰るのも楽しみの一つだったのでショックでした。
これも観光客減少の影響ですかねえ。
うーん、来年こそはスッキリとした気持ちで
いい年に感謝! 😉
と手を合わせたいですね。
新しいお札を事務所の神棚に入れて年末の準備もこれでひとつ終わり。
SDGsにある持続可能という言葉。
神社訪れて
という無茶な解釈で今日のブログの締めとします。
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