おはようございます。昨日組合関係者と伏見稲荷のお山を一周した鳥原です。毎月伏見稲荷に参拝に行くのは先代の踏襲です。「商売をするなら神様ぐらいはお参りしなくてはダメだ」父親が商売を始めるにあたり言われた言葉。それ以来の毎月の「お務め」です。
当時は新幹線もなく夜行で京都に出向き、駅からお稲荷さんまで歩き夜中にお山を登って朝に京都を出発し昼に名古屋に戻り、仕事をしたとそうですから、父親ながらとんでもない人だったとあらためて感じます。
いまでは名古屋京都間は30分程度、お陰さまで私は父親と比べものにならないほど楽をさせてもらっていますが、それでも毎月というと多くの方に驚かれます。「よく続きますね」と。昨日も一緒に上った方から「これだけ大変なら御利益間違いないですよね」て。
しかし「今更止められない」というのが私の本音です。ことの真意は定かではないですが、お稲荷さんはお狐さんとして有名。動物はかわいがっているときはいいですが、チョット関心を無くしてしまうと、嫉妬が半端ではないといいます。
□結局は「プラス言葉」を自分に聞かせている
実は最近思うのですが、神様にお願いをしているのは「こうなりたい」という思いを自身に向かって話をしているのではないかということ。お願いはプラス言葉ですので、プラスイメージを自分にすり込んでいるのではと思うようになりました。
一人で行くことが多いお山ですが、今回は「初お稲荷さん」が同行。写メを撮る場所も私とは違う視点で楽しかったです。お伏見さんに通ってかれこれ32年程、先代が通った50年の頃には私は75歳、先代からのバトンをそこまではつなげるようにと思っています。同行者の言うとおりこれだけ大変なら御利益間違いないですから。
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