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発信できる手軽さと怖さ

やしきたかじんさんがツイッターでのつぶやきを中止したそうです。なんでも9000人から4万人にフォロワーが増えたといいますから、その数も尋常ではありません。島田紳介さんの一件での彼のつぶやきがネット上で流れあっという間にフォロワーが増えそうです。

フジテレビの韓流偏重問題のデモもツイッターでのつぶやきだといいます。その一件で岡村隆史さんが発言した「テレビが見たくなければ見なきゃいい」も「テレビを見ない宣言をわざわざなぜツイッターで」とラジオで語ったのが、「見なければいい」という言葉だけがクローズアップされてしまい大騒動になりました。

気軽に情報発信ができる事で、情報発信が大企業だけのものでなくなったメリットはありますが、一方でこの気軽さが実は非常に無責任な状態を引き起こしているような…そんな気がしてなりません。

やしきたかじんさんのような有名人は多くの人が見るという特権のようなものがありますが、この特権が場合によっては自分の意図しない方向に進んでしまう怖さも今回の件で実感します。

特にツイッターのように○万人という天文学的なフォロワーになると発信する側も怖くないかなと思います。フェースブックは上限5000人、それでも5000人もの人が知り合いというのは少々考えにくいですし。

私はフェースブックを活用しています。最初は数を増やす事を試みた時期がありますが、結局フェースブックの賢い機能のおかげで「増やす」という行為を辞めてしまいました。

ブログの世界でも「友達」としてつながる事で増えていきます。「ランキング」なるものが出現しこれがまたブログを書き続けていくモチベーションになるのだと思います。私はアメブロ出現前から書いていますので、誰ともつながっていませんが(苦笑)

あくまで個人的意見ですが、人数を増やすのであれば、その目的、意味をしっかりと持った上で行うべきだと思います。ただ増やす…というのはひょっとすると自己満足になってやしないかと…。

ネット上で気軽に「発言できる手軽さ」が「発信する慎重さ」を逆に欠いているように感じます。そのうち一寸した冗談が取り返しのつかない大きな社会不安を出したとしたら…。そこまで考えすぎでしょうか。

先の震災では首都圏の帰宅難民にとって便利なツールだったSNS。こうしたツールが使う人の気持ちによって面倒な武器となってしまいます。いつの世もこうした事が繰り返されています。

歴史をひも解くと言論の自由が阻害されることがかつてありました。「ブログ炎上」という言葉に代表されるように、そのことが怖くなって自由に書けないとしたら、これも一種の言論の自由を奪う事になりはしないでしょうか。

自由な発言が度を過ぎることで自由を奪われてしまう…というのが何とも皮肉なものになりはしないか心配です。


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