昨日の続きです。
同業者の奥様のお別れの会は
会議所の大ホールを使っての盛会なものでした。
会議所の女性部会の会長もされていたということで
当時の会頭をはじめ多くの方々弔辞を読まれていました。
ご主人だけではなく
奥様も地元の名士だということがわかりました。
ただ、それだけではなく慕われていたのが分かるのは
会場のあちこちですすり鳴き声が聞こえてきたことです。
弔辞の中でこの奥様は癌と分かってからでも
決して他言はせず元気に振る舞って見えたそうです。
会議所の女性部の記念式典も企画の中心に。
最近では女性活躍とダイバーシティと言いますが、
まさに地でそれを具現化されていた方だと分かります。
ただいくら黙っていたとしても病気は周りにわかるもの。
式典当日にこの方が顔を見せるのを待っていたとか。
印象的な言葉がありました。
🙂 自分の人生の最後は多くの方に見送っていただきたい
そう生前話されていたそうです。
寿命を迎えて亡くなるとしばらくその場に佇んでいると言います。
お通夜や葬儀の当日は部屋の上から
葬儀の様子を黙って見守っているとか。
これだけ多くの方に出席いただき
おそらく天から自身の歩んできたことが
間違っていなかったと思っていることでしょう。
僕自身その奥様のことは全く知りません。
しかし誰からも好かれているこの奥様を見ながら
人の評価?(こんな表現が正しいかはわかりませんが)
というのは自身が人生を全うした時に分かるんだなと。
そんなことをふと感じました。
➡ 持続可能な開発目標
➡ 誰一人残さない
SDGsで使われる表現です。
持続可能な…なくなった奥様が目指していたものを
それを見送る人たちが受け継いでいく
誰一人残さない…誰の記憶にも忘れられることがない
こじつけ?と言われてしまうかもしれませんが
この人は地域の役に立ち、皆さんに感謝され
何よりも
自身が楽しんで人生を歩まれていた
SDGsの本来の在り方と思うのは無理がありますかねえ。
最後の挨拶は息子さん。
🙂 賑やかなことが好きで、みんなの笑顔を見ている母
きっと喜んでいると思います。
涙ながらに挨拶をされ、
最後に遺影に向かって軽く手をあげた姿が印象的でした。
とっても笑顔の素敵な遺影。
🙂 行って良かった
と思うお別れの会でした。
遺影の周りは大好きだったヒマワリで囲まれていた祭壇。
心温まる空間に身を置きながら
「行って良かった」と思うお別れの会はそうそうありませんから。
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