URLをHTTP[S]に変更しました。以前よりブックマークしてくださっている方は、こちらをクリックし、再登録をお願いいたします。

「当たり前」の幸せ

気がつけば三年が経過してしまった3.11。被災地の多くの映像やその後の生活ぶりを見るにつけ、自分が如何に今幸せな環境にいるかを実感しています。しかしもうひとつ忘れては池なのが昨日の3月12日。
この日、画面の向こうで静かに原発建屋が水素爆発で吹き飛ぶ様子を目にしました。当時は何度も繰り返された映像。ただはっきりと記憶しているのは音もない静かな映像だという事です。
この静かな不気味な絵が、地元の人が住めなくなる始まりだという事を当時は誰も知りませんでした。あれから三年が経過しましたが、関東から距離を置く我々にとってはもう過去の物となってしまっている怖さを感じています。
「のど元過ぎれば」とよく言います。当時これだけの事によって首都圏では計画停電がありました。産業振興の面で安定的な電力の供給という声もありながら、結果電力ピークを超える心配がなかったのもこの三年間です。
それでも原発を作っていくという政策を見ていくと、やはり「きれいごと」だけでは経済は進まないのかなぁと思う事もあります。この三年間の被災住民の状況を見る程果たしてこのままでいいのかなと・・・。
会社でも大きなクレームがあったりした際に業務の見直しをします。その際業務が面倒な仕組みとなる場合もあります。その面倒に慣れてしまえばいいのですが、上手くいくようになるとまた手抜きをしてクレームに。そうした事に常に目を配るのがトップの役目です。
常に「これでいいのか」と自問自答しなくてはならないのが私の務め。それだけに福島の現状を見た場合には、最も大切な部分がないがしろになっていないかと・・・一庶民ですが、危惧をしています。
「これでいいのか」と思うことができる幸せが一方にあります。当たり前のように朝を迎えて、温かい部屋で寝ることができ、毎日働けることができる幸せ、ふと昨日の報道を見ながら「当たり前」の幸せを実感した次第です。


タイトルとURLをコピーしました